前回のブログから日数がたちましたが、その間にタイトルどおり「最後は愛が勝つ」ことを実感することがありました。
どうみてもこれは解せない・・という出来事の「被害者側」に会い、やるせない気持ちを聞いたり、何があっても私は味方!!ということを伝えて、少しでも心に寄り添えるように接しました。
同時に、「加害者」についてはもはや何も感じず・・ネガティブな思いをはじめ、全く何も感じなくなりました。ただ「可哀想な人」「哀れな人」という思いだけが残りました。
加害者的行動をとる人に共通して見られるのは、一言で言うと「軸が自分自身にない」こと。他人軸でいつも動いているので、上の人にはびくびく・ご機嫌伺いとおべっか使い。下の人には責任押し付けと無茶振り、ねちねち嫌味を言う、など。
それでも、対外的には「下のことを思いやっている理想的な上司である自分」を演じようと頑張っている姿をよく見かけます。表に現れる言葉や態度と、本心がかけ離れていることがエンパスやライトワーカーからみるとはっきりとわかるので、見ていてとても哀れです。
他人軸でいつも動くということは、ハイヤーセルフと全くつながっていないことを意味していますので、スピリチュアル的にも完全にNG。
ここまでひどいと、この先に起こることが簡単に予想できてしまいますので、ただ「可哀想」という思いしか浮かんできません。我々が怒りなどをその人に向けて、わざわざ自らのバイブレーションを下げる必要は全くないのです。
そうする「価値」さえもない、哀れな人。
宇宙の法則に委ねる気持ちさえあれば、全て解決に向かうのだと確信できます。まもなく自分の視界からこの手の人たちは消えていくでしょう。
今はこの「哀れな人」にも感謝の気持ちを持つことができるようになりました。今回の出来事がきっかけとなり、愛と光を広げることができた、とはっきり実感できたことから、です。
さらに、「被害者」の強さを目の当たりにしました。負けずに力強く立ち上がる姿を見せてくれたのです。ただただ「尊敬」するばかりです。本当に感激しました。
そして、今回の出来事が持つ一番大切な「意義」は、「加害者」も私たちとつながっている、ということを認識しなければならない、ということ。
誰にでも人からよく見られたい、自分を誇張して見せたい、という「エゴ」はあると思います。今世では地球という三次元の世界に生まれてきたのですから、これは当たり前ですよね。
それでも、アセンションする過程でそういう「もはや、本当の自分には不要な部分」を削ぎ落として、どんどん身軽になっていくのがなんといっても快適で心地良い!! ということを改めて実感しています。
早く、「加害者」さんたちもその「気持ち良さ」に気が付けるとよいですね(^^) そうして、少しずつ地球が愛と光で満たされることを本当に望んでいます。
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