数週間前にテレビで「認知症研究の第一人者が認知症に」というテーマのドキュメンタリー番組を拝見しました。「長谷川式簡易知能評価スケール」の 開発者である、長谷川和夫医師を取材したものです。
この「長谷川式・・スケール」。介護など高齢者に関わる仕事をしている人だけでなく、一般的にも広く知られている大変有名なものだと思います。長谷川先生がご自身の認知症発症について公表されていたことを存じておらず、「え、あの長谷川先生が!?」ととても驚きました。
「きらきらと輝いている(研究で実績をあげる、など)自分と、だめな自分のどちらも自覚している。両者は連続していると感じる」という内容のことをお話されていました。このことからも、認知症の方と接するときにもっとも大切なのは、相手の尊厳を犯さないことではないかと強く感じました。
「景色の見え方に変化はあるのか」とインタビューで聞かれると、「以前と変わらない。美しい風景を見て美しいと感じるのは同じ」と答えられていました。
もしかして・・認知症の方たちはまさに「今を生きて」いらっしゃる方々なのではないでしょうか。その瞬間瞬間で「美しい」「楽しい」「気持ち良い」「いやだ、〜したくない」などの気持ちを感じられているのだと思います。
もしそうだとすると・・ハイヤーセルフと一致していて、本当の自分でいられるということにもなります。会話のときには「覚えていない」ことに焦点を合わせるのではなく、「今、このとき」についてお話をするのが一番良いのかもしれませんね。
この番組を見たときに、「この方の使命は生涯にわたり認知症の研究に突き進むことであり、最後に神様は一番過酷とも幸せともどちらにもとれる「課題」を課した・・」と感じました。それが、「自らが認知症の当事者の立場を経験すること」。
そして、その体験をもって長谷川先生の「研究」はついに完成・完結するのだと思いました。
とても印象に残る番組で、実はそのときにブログにも深い感銘を受けたことについて書こうかな、と思いましたがそのまま・・になっていました。
そして今日、今度は緩和ケアをしている医師がガンに罹患し、患者さんと同じ目線を持ちつつ、これまで通り仕事を続けているという内容のドキュメンタリー番組を拝見しました。
この方も長谷川先生と同じく、恐らくミッションは「緩和ケアを通して患者さんに寄り添う」ことなのでしょう。そして、また神様は過酷だけど避けられない課題をこの先生にも課したようです。ご自身が患者の立場を体験する、ということを。
どちらの先生も、医師と患者という両方の立場を経験して初めてわかったことについて人々に伝え、啓発する活動を積極的に行われています。
そして、その話を「聴きたい」と会場に足を運ぶ同業者である医師により、今までよりも一層患者さんの気持ちに寄り添った医療が施されることになるのでしょう。
もうこれは本当に・・限りなく尊いミッションだと思います(涙) こうして愛と光は人から人へと、広まっていくのですね・・
彼らはライトワーカーとして、一般の?ライトワーカーよりも既に次元の高いところにいらっしゃるのだろうなぁ、と感じます。ライトワーカーかつ社会的に影響力を持つ方々というのは、キリストに準じる過酷な経験をするものなのかもしれません。
長谷川先生のお話で、他にも忘れられないことがたくさんありました。例えば・・デイサービスに行っても今ひとつ楽しめない、自分は1人だと感じる、など。
「自分がマリアンナのときにデイサービスを考え、始めたんでしょう」とご家族に言われ、「分かっているけど・・」と答えられたときの先生のお気持ちを考えると、胸が詰まりました。
介護施設に「体験入所」したときに「早く自分の戦場に帰りたい」と仰っていた場面も。ご自身の書斎、研究室のことを長谷川先生は「戦場」と呼んでいて、「ここが一番落ち着くんだ」と。
きっと人はいつまでも「自由」でありたいと思い、実際にそれが必要なのだと思います。そしてほっとする「場所」も人それぞれですよね。家族の考えを押し付けないように気をつけなければ、と反省しました。
やはり、できるだけデイサービスやヘルパーなどの介護制度を利用しつつ、在宅で可能な限り生活を続けることがご本人にとっては一番幸せなのではないか・・と改めて考えさせられました。
コメント