今日は少し悲しいことが続きました。これっていじめなのでは・・と思うようなことがふたつ、目に入ってきたのです。
自分に対してではないにしても、誰かが誰かに対してまるで「弱い者いじめ」のようなことを行っているのを目の当たりにするのは、とてもつらいものです。元々エンパスですし・・
組織でそれが行われれば、これはもう立派な「パワハラ」と言えると思いますが、何も「パワー」を持っていない自分は被害者に対して何もしてあげられない、ということに気が付いて愕然としました。
目の前で展開される「理不尽なこと」と、それを受けている当人の悲しい気持ち・・「加害者」側は、まさか自分が「いじめ」をしているとは夢にも思っていないのでしょう。単に「保身」から出た言動のようにも思えます。
つまり、巧妙に論点をすりかえて、「自分のせいではない。お前が悪い」と責任転嫁しているのです。いつもこういうやり方で、これまで上手く世の中を渡ってきたのでしょう。加害者にとっては何のこともない「いつものこと」なのでしょうね。
バシャールはいつも、「良い悪いはない、意味をつけるのは自分」と言っていますよね。加害者の視点からすれば、自分がしている行動は正当化されるのでしょうし、悪いのは被害者の方だ、ということなのかもしれません。
とは言え・・「なんだかなぁ・・」と、心がざわつきました。
怒り・悲しみ・・様々なネガティブな感情が湧いてきます。さて、スピリチャアル的にはどうするのが良いのでしょうか・・
そんなとき、ふと「カルマ」の法則を思い出しました。自分がしたことは、全て自分に返ってくるのです。大切なのは、自分の行動が自信をもって「愛から生まれた行動である」と言えるのかどうか。
「加害者」が行っていることが、愛から発生しているのであれば、(正直そうとは思えませんが・・) やがて双方にとって「愛」が返ってくるのだと思います。
でも、そうではない場合・・エゴに支配された、とかブラックなものであるならば・・
結果は目に見えていますよね。近々自分に「他人にしたことがそのままかえってくる」のも「アリ」ですし、もしくは今世はのらりくらりとやり過ごすことが出来たとしても、来生に繰り延べされたカルマにより次回は「被害者」を体験するのかもしれません。
全て、宇宙の法則です。だから、自分が今じたばたしても意味がないことに気が付きました。宇宙に任せて、静観するのが自分にできる精一杯のことなのかもしれません。
ただし・・もう一つ、自分にもできることがありました。せめて、「被害者」に愛を持って接することです。
明日、「被害者」に会いに行ってきます。少しでも愛が伝わりますように・・
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