キリストの苦悩は、誰が癒すのか

神 ハイヤーセルフ
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Joey Velascoさん作 の絵・・キリストと貧しい境遇のこどもたち、という少し奇妙な組み合わせになっています。

一見、イエス様が子どもたちに食事を与えている様子を描いているのかな? と思いきや、実は「逆」なのです。

イエス様に「お腹が空いているの? これ、あげるよ」と言っているのは、実は子ども達の方・・・

私たちは神様に何をして差し上げられるのか

今日の「シンクロ二シティ」で繰り返し現れたテーマは、「私たちは神に、何をして差し上げられるのか」? という問いかけでした。

私たちは神社に行って、お参りして、何かを神様にお願いしたり祈ったりします。これは当たり前のようになっていると思います。

でも、元々神様は私たちに全てを与えた上で、この世に送り出してくれています。ただ、それを1人ひとりが忘れてしまっているだけのこと。

予め全て与えられているのに、「まだ足りない。もっとください」と神様に向かって言っていることに気がついている人は、どれくらいいるのでしょうか。そしてその言葉を聞いた神様は、一体どれほど悲しい気持ちになってしまうのか。

絵の中のイエス様は、きっと周りの人からあらゆることを「お願い」されて、ひたすら叶え続けてきたのでしょう。ちょっと疲れてしまっているようにも見えます。

子どもたちだけが、そのことに気がついてやさしい言葉をかけてくれている・・

「与えても、与えても、与えても、きりがない人間の貪欲さ、与えてもらうことだけを要求して、何も返そうとしない人間たち」と「子どもたちの純粋な、心からのやさしい気持ち」とのコントラスト。

この絵が持つ不思議な魅力が人の心を打つのは、そのコントラストの見事さなのではないかな、と感じます。(100%主観です(笑))

愛を広める

このブログを読んでくださっている方は、以下のようなことは既に分かっている方が多いと思います。今度は、周囲の人にそれを伝えて下さい!

神社に言ったときは、まず感謝すること。そして、自分はお返しに何をすることができるのか、を考えること。

神様が喜ぶことって、何でしょうか? それぞれ意見があると思いますが、自分自身の考えは

愛を広めること。幸せだな、と感じながら生活すること。

だと思っています。

自分の可愛い子どもたちが幸せであること、それぞれの大切な人に愛を送る姿を見ることが、神様は何よりも嬉しいのではないでしょうか。

微力ながらせめて、神様やイエス様の苦悩に思い至り、少しでも癒したいと「希望」を持つことを続けていきたいと思います。

そして、大切な人に愛を送り続けます。

追記 (記事公開3日後、読んでいる本の中に出てきた文章です)

おそらくイエス・キリストも孤独だったのだろう。もちろん、彼には弟子たちがいて、人々が常に話を聞きに訪れていた。しかし友となれる人、ほんの一言だけで理解し、困難なときに助けてくれる友人がいただろうか?   (アナスタシア6 一族の書 ウラジーミル・メグレ著)

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