スピリチュアリズム的には、「死」とは肉体からようやく解放され、霊的存在に徐々に戻っていけるスタート地点としてむしろ「喜ぶべきこと」でありますが、一般的には「最大の不幸」と認識されているかと思います。
自分自身は、早く霊界に戻りたい(笑)のでその日を楽しみに!?しているところですが、その前に、順番的にはきっと親が先に旅立つことになるかと思います。
認知症になると、老化のスピードはそうではない人に比べて相当早くなることが研究で示されていますし、認知症の進み方自体の速さは本当に日々実感していることもあり、親の死の瞬間について考えることが多くなってきました。
子どもとして望むことは、やはり安らかに、苦しまず、眠るように旅立ってほしいなぁ…ということです。
そのようなときに、ちょうど「平穏死」のカリスマ(笑)のような存在、でしょうか。医師の長尾和宏先生の著書に出合い、何冊か読んでみることにしました。
「救急車を呼ぶということ」が意味することとは何か? について、詳しく書かれています。
「医師法20条」の誤謬
日本では元々「平穏死」は極めて自然なことであり、法律的(医師法20条)にも、それが可能になるような文言が示され整備されています。
ところが・・残念なことに、この医師法20条が現場の医師に誤解されてしまっているとのこと。
内容としては、「自ら診察した患者さん以外に対して、死亡診断書等を書いてはいけませんよ。ただし、診察後24時間以内に死亡した患者に交付する死亡診断書についてはこの限りではありません」という内容が書かれています。
その最後の部分について、ほとんどの医師が「死亡前、24時間以内に診た患者さんでないと死亡診断書は書けない」と誤解されているのだそうです。
本当はそういう意味ではなくて、そのような場合(通常は死亡した時点で家族から連絡がきますよね)、その家族のところに伺った時点で死亡診断書を書いてもいいですよ、というのが法の趣旨なのですが、それが何故か誤って解釈されてしまっているのだそうです。
そのため、本来は連絡する必要のない警察への連絡が医師からなされてしまい、事件性がないか調べられることで家族が二重の悲しみを経験させられたり・・ということが起こっているのだそうです。
119番 救急車を呼ぶことの意味
これもショッキングな事実です。119番をするということの意味。そんなこと今まで考えたこともありませんでした。
長尾先生によれば、これは「フルコースの蘇生処置をしてください」というメッセージなのだそうです。
つまり、人工呼吸器をつけたり気管切開をしたり、胃ろうなどの人工栄養を行ったり、人工透析を行うなどの「延命措置」をしてください、と救急隊の方や病院にお願いする、という行為に他ならないのです。
そして、延命措置は一度開始してしまうと、途中で「止めます」と訴えたところでもう止めることはできません。
患者本人が管でつながれ、どう考えても苦しそうな様子を見て、家族が「止めてくれ」と伝えたとしても、病院側は延命措置を中止して患者が死亡すれば家族から訴えられる危険がありますから、それらを止めることは絶対にないそうです。
在宅医にまず連絡
それでは、救急対応が必要になったときにはどうすればいいのでしょうか。
前提として、普段からかかりつけの医師、在宅医をみつけて定期的に診察してもらうことがまず必要です。
そして、何か心配なことが起こったら、救急車よりもまずは在宅医に相談すること。そして必要な指示を受けることで本人の望まない「延命措置」を避けることができます。
予め、死の兆候を知っておく
予め「死が近づいた兆候」を知っておくと、家族の「自宅での看取りに対する不安」が軽減されます。
死が近づいた人は、まず食べることができなくなるそうです。そして徐々に脱水の状態になっていくことのこと。
うとうとして、目が覚めて、という眠りと覚醒を繰り返すのが特徴だそうです。
この時期には毎日少量の水だけで過ごすことが、却って当人にとっては一番快適な状態。そして最後は尿も出なくなって、眠るように亡くなるのだそうです。
それではもしも、この時期に病院に入ってしまうとどうなるのか。
点滴を打たれて、その過剰な水分でお腹に水が溜まり、それを針で抜いてまた点滴することの繰り返し。当人にとって辛くて苦しい処置であることは明らかです。
そして、そういう処置をした方か、結果として早く亡くなってしまうのだそうです。でも、そのことを知らない医師が多すぎるとのこと。
「人間は枯れるように亡くなる」…これが自然の摂理であり、当人にとって一番無理がなく穏やかな死に方と言えます。
摂理に反するのではなく、自然に任せることが何よりも大切なんですね。これが平穏死には欠かせない要素になります。
おまえさえいなければ(笑)
患者当人が延命措置を望まず、自宅での平穏死を望んでいるにも関わらず、それを最後の最後でぶち壊してしまうのは外ならぬ家族だそうです。
「遠くに住んでいる長男」(笑)が突然現れて、長尾先生の助言を無視して「早く入院させろ」と言い出す場面に、長尾先生は何度も出合ってきたとのこと。
そしてその結果、「スパゲッティ状態」の延命措置がなされ、苦しみの中で患者さんは死んでいく…
先生としては、何ともやりきれない思いを何度も経験されているとのことでした。
子どもや家族に課せられた最後の使命は、「本人の意向を尊重すること」ではないでしょうか。
長尾先生のお話を真摯に受け止めて、本人の希望を事前によく聞いておくことが必要なのだな、と強く感じました。
日本尊厳死協会
ここまでは親の話。
それでは自分の場合、どうするのか。最後にこのことを考えてみたいと思います。
自分だったら…いやぁ当然、延命措置は希望しません(笑)
ガンになったとして、抗がん剤とかも一切拒否するつもりですし。とにかく治療はしない、と決めているくらいですので、当然延命措置なんて考えられません。
問題はそれをどのように医療者に伝えるのか。意思表示ができなくなった場合を想定すると、一番確実なのは「日本尊厳死協会」に加入することだそうです。
https://songenshi-kyokai.or.jp/
自分のリビング・ウィルをしっかりと表明して、いざという時に病院に対して効力を持つものは、今のところこの方法しかないみたいです。
ところで…「延命措置を拒否する」ことは「緩和ケアを断る」ことと同義ではありません。
痛みを我慢する必要は全然ありませんので、痛みを取り除きながら自然に穏やかな死を迎える…というのが一番いいなぁ、と思っています。
終末期に緩和ケアを行うのは、在宅医にとって「当たり前」のことだそうです。遠慮しないで、どんどん相談しましょう!!
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