哲学的な考察(笑)
哲学的・・なので、答えは出ません。ただ、考えるだけです。
スピリチュアリズムで大切にされていることの一つに「利他愛に基づく行動」があります。自分のことよりも他人のことを考える、他者を助ける、他者のためになることは?を考えて行動する、など。
具体的な人物像としては、マザー・テレサでしょうか。非の打ちどころがない人格、人柄、行動。きっと、霊性が「ずば抜けて」高いまま、物質世界に生まれてきた方なのだと思います。
周りと合わなくて生きるのがしんどかったのではないかな~(^^;)、なんてつい思ってしまいますが・・いや、マザー・テレサ「クラス」の方は、そんな(凡人が感じるような)ことに煩わされることはないのかもしれませんね。
今自分が「自他愛」の実践がなかなか難しいな、と感じているのは次の二つ。
①明らかに自分とは合わない人にも、自他愛行動をとること
②対母親(笑)
①は、恐らく仕事の場で誰もが感じる(戸惑う)問題ではないかと思います。なぜなら、仕事でストレスに感じるのは、仕事そのものよりも「人間関係」。
これまでは、最低限のつきあい(挨拶とか(笑)) 以外は、出来るだけ離れていることが「お互いの幸せのため」だと思っていました。
でも、それではだめなんですよね、スピリチュアリズム的には。
そういう人たちに対しても、「どうしたら彼らの役に立てるのか」を考えて行動しなければならない・・
何とも過酷な課題であります。
②対母・・以前毒親と書いたこともあるほど、かなりやばい方です。自分以外の親族(兄弟姉妹)とも先日お盆休み期間に話し合ったところ、本当にやばい人だということを改めて認識しました。
私たち・・どうやら「サバイバー」だったみたいです。何とか子ども時代を切り抜けて独立、母親と離れることが出来たのはよかったのですが、ここにきて本人の病気・高齢化で我々に「依存」してくるようになりました。
その「病気」も、スピリチュアリズム視点からみると明らかに「何かしでかしたことの報いを受けている」状態。シルバーバーチがよく言うところの「自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない」の摂理によるものだと思います。
つまりどんなに薬をのんでも、本人が霊的に成長するなど、内側から変わらない限り改善には向かわないことは明らかです。
以前はこんな親に「キレて」(笑)しまうことが多かったのですが、今はすっかり「大人」の対応ができるようになりました。もはや腹も立たない・・怒りよりも哀れみ、同情心の方が勝っています。
ただ・・
依存されるたび、来てくれと呼び付けられる度にどうしても、「また自分がこの人の対応するのか・・嫌だなぁ。行きたくない」という気持ちが正直沸き起こります。
家も物が多すぎてしかも不潔な状態。エネルギーが重くて、その場にいることそのものが自分にとってとても苦痛です。
ようやく解放されて自宅に戻ると本当にぐったりとしてしまい、多めの睡眠・休息が必要になってしまうほどです。
それでも、最近はスピリチュアリズムを学び「実践の努力」をしているので、こんな風に考えてみたりします。
「シルバーバーチが、高次の場所から物質界にくるときも嫌だ・行きたくないくらい、と言っていた。快適な場所から暗くて重いエネルギーの場所に降りていくことは、誰にでもつらいはず。ならば、(全然高次的存在ではない)自分程度の者がそういう気持ちになっても仕方がないのではないか」(笑)
シルバーバーチと自分を並列に論じる部分で既に無理がありますが(笑)、この「ああ、いやだなぁ」という気持ちそのものは、もしかすると近いのがあるのではないかと・・(勝手に想像しています)(^^;)
「自他愛に基づく行動=自分の霊的成長を促す」という考え方で、どうにかモチベーションを保っているのですが…というか、それだけが心の支え・動機となっている状態。
ここで、(冒頭の)「哲学的な考察」が頭をぐるぐるし始めます。
あれ? 自分の霊的成長を促すことが目的になってる?
そのために「自己犠牲」する? 嫌なことを「我慢」する?
・・ちょっとしっくりきません。
「嫌だけど仕方ない、我慢しよう。自分の霊的成長のため」
何だか、エゴ・・自分のこと(自分の霊的成長が主目的) に目的・動機がすり替わっている気がするのです。
本当は、理想的には、心の底から母親に対する同情心がおこり、何とか彼女の霊的成長への働きかけが自分にできたら・・何かできることはないか、と考えるのが筋・正しい道だと思います。
そういう境地にならないと・・頭では理解しているつもりなのですが、気持ちがなかなか追い付かない。
これが物質界で身体に縛られていることの「限界」なのかもしれません。脳の前頭葉で思考することと、扁桃体周辺(大脳辺縁系)で感じることとの相違・乖離に自分自身が苦しめられる…
最も「しんどさ」や「難しさ」を感じる場面です。
「仕事の場、人間関係」「対母」・・・しばらくは、この二課題との闘い(修行)になりそうです。
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