徳川家康公のお城「浜松城」&「駿府城」

ありがとう♡静岡
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今回もまた家康公ゆかりの内容で、テーマは「お城」です!

まずは、「浜松城」から。

浜松城天守閣

家康公は、29歳〜45歳のころこちらにお住まいだったそうです。

今川・武田・織田…といった、錚々たる武将たちに囲まれて、「戦い生き延びて、そして、天下盗りの夢をつかんだ場所が、浜松城です」(カッコ内: 浜松城公式パンフレットから引用させていただきました)

天守門

天守門のところで、とても印象的だったのは「石」(石垣)です。これは「野面積み」と呼ばれる、自然石を組み合わせて積み上げる手法にて築かれたとのことです。

ちなみに、彦根城や竹田城、安土城も同じくこの「野面積み」の石垣なんだとか。

若き日の家康公

後々「出世城」と呼ばれる浜松城ですが、家康公がお住まいだったときは、ご本人にとって最も大変な時期のようでした。

それはこの時期に、家康公の生涯最大の敗戦と言われている「三方ヶ原の合戦」(元亀3年、1572年)が起こっているからです。

この合戦で相手側(武田軍)に対して、圧倒的に「多勢に無勢」となってしまった徳川軍。家康公はやむを得ず、とにかく撤退するしかなかったようです。

その逃げる途中のエピソードも幾つか伝えられていて、クスッと笑ってしまうようなものもありました。(銭取りおばあさんの話、とか)

命からがら浜松城に戻ってきた家康公は、その意気消沈した姿を家臣(画家?)に命じて描かせ、生涯戒めに(この敗戦のことを忘れないように)したと言われています。

…武将にとって、きっと一番見たくない「自分の姿」のはず。それを敢えて像に残すって、すごくないですか!?

家康公って、精神的にものすごく強い人だったのだな、と思いました。

さて、場所は移り今度は「駿府城」へ。

絶賛発掘調査中!

駿府城では現在、天守台の発掘調査がものすごい規模で行われています。こちら、日中は近くで見学することができるんですよ!!

この石、実は巨大なんです

家康公は子ども時代(〜19歳)の12年間と、主の「大御所時代」にこちらの駿府城にお住まいだったそうです。

天守閣は消失してしまっていますが、駿府城二ノ丸「東御門」と「巽櫓」は再建され、建物内部と展示物を見学することができます。

東御門

南西側には駿府城二ノ丸「坤櫓」が再建されていて、こちらも内部を見学することができます。

坤櫓

なんと、内部も撮影OKでした。

坤櫓の内部資料 一部

こちらは(防火関係の?)法律により、一般の訪問者は2階以上に上がることができません。

そのため、1階天井の一部を敢えて外しスケルトンにすることで、見学者が櫓の構造を見学することができるよう、工夫されていました。

お城の二ノ丸以外に、建物ではありませんが、もう一つ見学できるスポットがありました。「紅葉山庭園」です。

この美しさ!!

水・花・木・築山…美しい自然が全て堪能できる、まさに、癒しのスポットです。

お花🌸

そう言えば駿府城にも、久能山東照宮にも、「家康公手植えのみかんの木」というものがありました。

また、どちらの場所も、「花の美しさ」を愛でることができます。

きっと家康公、とても自然がお好きだったのではないか…と推察いたしました。そういうところが「平和な国づくり」へとつながっているのかな、とか。

「一刻も早く世の戦乱を収束させて、平和な国をつくる。そして、人々が毎日心穏やかに、自然と共に暮らしていけるようにしたい」

自分の勝手な想像ですが「何となく」、家康公にはそういう思いがおありだったのではないかな、と駿府城を訪れて感じました。

トップの画像も、紅葉山庭園の写真です。ちなみに、奥に写っているのは「静岡県庁」。

県庁別館の21階(だったかな?)は、展望台として一般に解放されているとのことで、今回も行ってみたのですが…

残念ながら、流行病の関係で閉鎖されていました(泣)

…ということで、また訪問せねば!!

さて、浜松城には「若き日の家康公」の像がありました。こちら駿府城には、大御所の家康公像があります。

大御所の迫力!
発掘調査地側から、後ろ姿が拝めます。

何でも、せっかく駿府城入りした(天正14/1586年)家康公に対して、豊臣秀吉公は「江戸へ移れ」という無情な命令を出した(天正18/1590年)とのこと。

結構なパワハラ上司だったんですね、秀吉公(^^;) 

この時の家康公の気持ちを想像したら、なんだか涙が出てきました…「きっと、駿府に残りたかったろうなぁ」っていう想いを(勝手にw)感じて。。

その後、家康公は「関ヶ原」での勝利を経て、征夷大将軍に任命されました(慶長8/1603年)。同時に江戸幕府を開き、ついに念願の「平和な世の中」がスタート!!します。

すると、速攻で駿府に戻る準備・計画を開始(笑)

まずは将軍職を辞して大御所となり、1606年には駿府城の拡張工事に着手しています。

そしてついに、駿府城への念願のカムバック(慶長12/1607年)を果たしているのです。

その後生涯、家康公はずっと駿府城にお住まいだったそうです。晩年はこの美しい駿河で、心穏やかに過ごされたのでしょうか。。

そして元和2/1616年に75歳で崩御され、久能山東照宮にて眠られています。

お城のことも歴史のことも、全く詳しくないのですが、実際に現地へと足を運んでみると、歴史のことがとても身近に感じられます。

その場所に立ってみて、初めて感じることがある、といった感じでしょうか。

すっかり「おひとりさま」旅行も抵抗なくなりました(笑)ので、また次の訪問先を楽しく検討することにします。

お城🏯、楽しいですね・・

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