「神」のイメージ

スピリチュアリズム
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物質世界では「神」と表現される大いなる存在について、スピリチュアリズムでは「大霊」とか、「宇宙の摂理」などと表現されます。

昨日の「祈り」にも関わることなのですが、我々の(日本の)文化では、神様というと「慈悲深い」「情けをかけてくれる」「救い主」「助けてくれる」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

だからこそ、神社やお寺に行くとついつい、「願い事」をしてしまうのですよね(^^) きっと、神様も「くすっ」と笑っているかもしれせんね(笑)

本当の神とは・・物質世界の言葉では表現できない、というのが実際のところです。

物質世界の概念をはるかに超えた、偉大すぎるもの・・表現できる言葉が物質世界にはそもそもないので、正確な表現が誰にもできないのです。

なので、スピリットの世界に移行した後で、徐々にそれぞれが理解していくものなのかもしれません。

そのような「限界」があることを前提に、それでも自分なりの「神」の解釈・印象を述べてみたいと思います。

シルバーバーチのお話を伺っていると、神とは、もちろん慈悲深いことに間違いはないものの、その側面よりも「公明正大な存在」といったイメージが自分にとってはしっくりきています。

誰のこともひいきしない、嫌わない、極めて公平。

誰のことも見捨てない、慈悲深い、愛そのもの。ただし、差し伸べた手を振り払うのは、個人の自由、個人の責任。

人は自分で蒔いた種は自分で刈り取るしかない。誰も「助け」たり、肩代わりをすることができない。(=摂理 =神)

このことから、カルマは自分自身で解消するしかない。もう一度再生して(物質世界に生まれてきて)やり直す、など。(現生での「治癒しない病気」はカルマ解消中、と考えてほぼ差支えない)

誰も摂理から逃れることはできない。どんなにずる賢く物質世界で「ごまかす」「隠す」「不正を行う」ことが出来ても、必ず摂理により報いを受ける

・・このような感じでしょうか。

ちょうど今、台風のシーズンですね。毎年、台風や大雨などの被害が報じられる度に、改めて自然への畏れの念を感じていますが、そういう「畏れ」を感じる存在、というのが自分にとっての「神」のイメージにかなり近いです。

物質世界で貴重なお金、物質的な豊かさは、スピリットの世界に入るときには何の意味も持ちません。霊的成長の度合いが全てになります。

利己主義、過度な物質主義に偏っている人たち・・早くそのことに気が付いて、方向転換してくれるといいなと思います。

物質世界の人にとっても、スピリットの世界にとっても、何よりも、本人のために。

カルマをゼロにすることは人間である以上できない、とシルバーバーチもはっきりと言っていましたが、それでも出来るだけ少なくする努力はできると思うのです。

利他愛、物質主義よりも霊的成長を優先・・この二つを心がけて、今世での修行を続けていくことがやはり大事なのですね!

ところで、黄色でマーカーをつけた「必ず摂理により報いを受ける」。

だとすると、うわーこの人何なんだろう!? という怒りを人間レベルがいちいち感じなくても問題ない、ということになります。

放っておいても、摂理により報いを必ず受けるのですから・・

それよりも、「批判する想念」を持つことの方が自分にとってマイナスになります。それはブーメランのように返ってきて、自分自身を傷つけるからです。(・・と、今自分に向かって話しかけていますwww)

自分を大切にするためにも、批判する想念はできるだけ持たないようにするのがおすすめです。日々是修行、日々是精進、ですね(笑)

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