スターシードからスピリチュアリストへ

スピリチュアリズム
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過去のブログを読み返していると、比較的「スターシード」や「ライトワーカー」という言葉が頻繁に出てきていることに気が付きました。

自分もそうだったのですが、スターシードという「自覚」を持ちながら、周囲の人と関わったりスピリチュアルに関する活動をしたり…という人は案外多いのではないでしょうか。

スピリチュアリズムの知識を学ぶと、そういった(スターシードとかインディゴチルドレンとか)「ラベル」はどうでもよいことである、という認識が一層強まります。

そうですよね、名前は何だって構わない。ラベルはもう必要ないし、行動が全て、なんですよね。結局のところ。

・私利私欲にはしらず、相手のことを思いやることができているか。

・忍耐強く、慈悲心を持って相手に接しているか。

・自己顕示欲を律し、謙虚でいられるか。

こういった事項を、絶えず自分の言動に照らして振り返ることが、スピリチュアリストに求められる資質になるかと思います。

また、スピリチュアリズムの知識には、自分の前世を知りたがるなど「どうでもよいことに拘る・執着する」ことへの戒めの内容も含まれています。

「スターシード」といった概念もそのような性質の一つと言えますので、今後はラベルに関係なく、ひたすら利他愛・霊主肉従を実践していきたいと思っています。

敢えてラベルを付けるとすればスピリチュアリストを目指す、でしょうか(笑) まだまだこれは、かなり遠い道のりのようですが・・

ところで、以前のブログから一例を。

「スターシード」として周りの人と関わる
というのは、ここのところ仕事で関わる人たちの中で体調を崩す人が続出しているから、なのです。そしてその「原因」はずばり「ストレス」。「人間関係」「会社の部署間の関係性」に起因するものでした。自分に今、できることは何だろう・・1 話を聴く 2 場の浄化 3 同類を見つけて、協力し合う

あれあれ? 書いてある内容そのものは、そんなに悪くないじゃん(笑) なんて感じました)^o^(

というのは結局、困っている人に愛と慈悲の心で接する・・というのは、スターシードでもスピリチュアリストでも同じなのでは、と思ったからです。

ここで「人のことは関係ない。知らんぷり」となると、利己的行動になるのでスピリチュアリズムとは真逆の方向ということになるでしょうが、そうはなっていませんよね。

根底にあるのは、やはり「愛」。

ニューエイジの基本もそうであるからこそ、霊的真理という視点からみると多少の食い違いがあるのかもしれませんが、それでもなお多くの人を引き付けているのだと思います。

自分もニューエイジにどっぷり浸かった時期がありますし、それを否定する気はさらさらありません。むしろ、素晴らしい体験だったと思って宇宙に感謝しています。

スピリチュアリズムもニューエイジも、根底にある思いはきっと同じはず。少し視点は違っても、共に進んでいけたら良いですよね。

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