ナルチスとゴルトムント(知と愛)

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ヘルマン・ヘッセ著の、邦題「知と愛」という物語があります。

数年前に、「なぜか」とか「きっかけ」はよく覚えていないのですが、ヘルマン・ヘッセに凝って(笑)立て続けれに彼の著書をずーっと読み続けた時期がありました。

今回ちょっとした偶然の重なりから、この「知と愛」を再び読む機会に恵まれました。この物語は新潮社のヘッセ全集8 に収録されている物語なのですが、本当のことを言うと、同じ本の2番目に収録されている「東方巡礼」を読み返したかった、といういきさつになります。

東方巡礼・・読んだことあるなぁ・・・と思いながらもあまり内容を思い出せず(笑) でも、同じ本に収録されていたこの「知と愛」は、数年前に読んだ時もとても印象に残り、自分の中ではヘッセ作品の中でナンバー1だと思っています。

そして今回読み返してみたところ、「これ、ツインフレームの話だよなぁ・・」と思ったのです。

ナルチスとゴルトムント、二人は同性(男性同士)ではありますが、間違いなくツインフレームだと思います。正反対の性質を持つ二人は、二人が1つになって「完全」をなす、というテーマが、この物語全体を通して一つの大きなテーマになっているからです。

作者ヘッセ自身もこのことについて、

ゴルトムントと私は模範的な人間の反対で、したがって半分に過ぎない。ゴルトムントはナルチスと一しょになって、一つの全体になる。同様に芸術家ヘッセは、精神と思索と道徳を貴ぶひとりのヘッセによって補われる必要がある

と述べています。ナルチスは知恵、ゴルトムントは愛を象徴しており、どちらも人間には欠かせない大切な要素です。ヘッセはどちらかと言えば自分はゴルトムント、と感じているようですが、ナルチスの要素ももちろん彼の中にあり、この2つの要素が合わさってこそ「ヘルマン・ヘッセ」という人を構成しているのでしょう。

因みに・・自分はどちらかと言えば、ナルチスタイプかなと感じました(笑)で、ツインの相手はゴルトムント・・と言ったら相手は抗議するかなww

いえいえ、間違いなく世間で愛されるのはゴルトムントの方です。みんなに愛され、特に異性にモテモテな「イケメン」で、友だちもたくさんいるタイプ。

ナルチスも「イケメン」なのですが、高貴な感じであまり人を寄せ付けない雰囲気を持つ、一匹狼タイプ。人間を愛したことはない、と言い切る彼が唯一愛した人が、ゴルトムントでした。

あ、余計なことですが、ボーイズ・ラブ的な話では全くありませんwww 二人はそういう関係にはなりませんので、安心して??興味のある方は読んでみてください!!

そのナルチスが物語の最後にさしかかる場面で、どれほど彼がゴルトムントのことを愛していたか、愛しているか、を語る場面がありとても心を打たれます。

もっと早く君に言うことのできなかったことを許してくれたまえ。君を牢獄に訪れたとき、司教の城で、あるいは君の最初の像を見ることのできたとき、あるいはいつかあるとき、わたしはこれを君に言うべきだった。きょうそれを言わしてくれたまえ。どんなにわたしが君を愛しているかを、君がどんなにわたしにとっていつも尊かったかを、君がぼくの生活をどんなに豊かにしてくれたかを。君にはそうたいしたことではないかもしれない。君は多くの女たちに愛され、甘やかされた。わたしにとってはわけがちがう。

わたしの生活は愛に乏しかった。わたしには最上のものが欠けていた。ダニエル院長は、わたしを高慢だと思う、と言ったことがある。おそらく彼の言うとおりだろう。わたしは人間に対して不当ではない。人間に対し正当に辛抱づよくするように努めているが、人間を愛したことはついぞない。修道院にふたりの学者がいれば、学問の多いほうがわたしは好きだ。弱い学者をその弱さにもかかわらず愛した、などということはない。それにもかかわらず、愛が何であるかを知っているとしたら、君のおかげだ。君をわたしは愛することができた。人々の中で君だけを。それが何を意味するかは君には推し測れない。それは砂漠の泉を、荒野に花咲く木を意味するのだ。わたしの心がひからびていないのは、神の恵みの訪れを受けうる個所がわたしの中に残っているのは、ひたすら君のおかげだ。

この部分に「深く心を打たれた」のは、まるで自分の気持ちをナルチスが代弁してくれているように感じたからです。自分の生活も「愛に乏しかった」ですし、それにも関わらず自分が「愛が何であるかを知っているとしたら、君のおかげだ。君をわたしは愛することができた。人々の中で君だけを。それが何を意味するかは君には推し測れない」と相手に対して思っているからです。

この部分だけでも十分「スピリチャアル的」なのですが、まだまだ・・この物語の中にはスピリチュアル要素があちらこちらに散りばめられています。それぞれが宝石みたいにキラキラと輝いています。

ゴルトムントは自分の「わくわく」に従って行動していますし、一見関係ないように思える体験の数々が、後の彼のミッション・・芸術家としての・・に繋がっていきます。

また、ナルチスがゴルトムントに与えた数々の重要な示唆や教えは、すべて「数倍になってかえって」来ることにもなりました。芸術についてナルチスがゴルトムントに「君から多くのことをおそわった」と語る場面では、

人間というものは、精神と物質とでできている不安定な混合物であるから、そして精神は永遠なものの認識を開くのに反し、物質は人間を引きおろして、無常なものに縛りつけるのであるから、生活を高め、生活に意味を与えるためには、人間は感覚から離れて精神的なものへ努力しなければならない、と。

などの、まるで三次元の世界と高次元の世界との対比みたいな(笑)話も出てきます。精神と物質って、まさにスピリチュアルを語るときにはずせない要素のひとつですよね。

それから、以前読んだときに感じたことと今読み返して感じたことが、自分の中で大きく違って感じた場面がありました。ゴルトムントとある女性が一時期、短期間一緒に暮らしたときのことです。

女性は最初は楽しく暮らしていますが、やがて「この後はどうなるんだろう」と不安になります。「そのあとは何もかもおしまいなの? あんたは行ってしまうの? そしてあたしは?」とゴルトムントに不安な気もちをぶつけたときのことです。

「今を生きる」ゴルトムントには、彼女の不安が全く理解できません。「長く続く幸福なんてものはない」と無常について彼女におしえ、少し怒りだしてしまいます。

以前読んだときには、彼女の不安に共感することができました。フツウの若い女性なら、きっとそう思うのが当たり前だよね、と。

でも今回読んだときには、どちらかと言えばゴルトムントが「いらっと」する気持ちの方に共感できたのです。

繰り返しバシャールから(笑)「わくわくを追うこと」と「今を生きる」ことの大切さをおしえてもらっているおかげなのか、すっかりその考えが自分の中で主流・定着しつつあるのかもしれません。ありがとう、バシャール!!

それにしても、一流の文学って本当に素晴らしい・・と改めて感じます。リベラル・アーツを学ぶ重要性について最近、様々なところから伺う機会があったのですが、本当にそのとおりだなと実感します。今後も時間の許す限り、どんどん「古典から学ぶ」を実践していきたいです。

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