時間は存在しない

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「ホーキングの再来」と評される天才物理学者、Carlo Rovelli さん著の「時間は存在しない」 L’ordine del tempo を読みました。

数式を用いないで一般の人向けに書かれたもので、世界中で大ベストセラーになっている本です。ところどころ難解な部分はやはりあるものの、内容の面白さと魅力的な文章に、一気に最後まで読んでしまいました。

スピリチュアルの世界ではよく耳にする、「過去・未来」は存在しない・・という話に近い内容です。既に物理学の世界においては、以下のような内容が「常識」なのだそうです。

「時間や空間は根源的なものではない」

「時間は空間と一体化した広がりであり、過去と未来を区別する方向性もなければ、現在も存在しない」

連続的な時間や空間があると「感じられる」だけ

「時間の向きが指定できるのは、エントロピーの増大という統計的な変化を考慮に入れた場合に限られる」 (低エントロピーから高エントロピーへと移行するときに、時間が流れると感じる? ということでしょうか???)

「時間はとびとびになった特定の時刻しかなく、量子化されている。滞ることなく流れ続けるいうイメージとはかけ離れたもの」

「世界の基本原理には空間も時間もなく、ある物理量からほかの物理量へと変わっていく過程があるだけだ」

「宇宙全体に共通した「今」は存在しない」

・・ということで、図で表すとこんな感じ(図14)だそうです。

図29の太線が「現在・今」を表しているとすると、下か「過去」上が「未来」を表す・・これが、これまで我々が認識していた時間の感覚ですよね。

ところが、実は図14みたいに感じ(笑)。

とはいえ、スピリチュアル好きな人も、そうではない人も、物理学の人!?も、「とは言え・・じゃあなんで過去だけこんなに特別なんだろう」と「普通に」感じますよね。

何とこの辺りにも、天才物理学者は言及しています。ただ単に「物理学ではこれが事実なんです」で終わらないところが、この方の本当に素晴らしいところだと思います。

一言で言うならば、「そこに人間が介在しているから」とでもいいましょうか。より具体的には、人間の脳・意識・思考がそうさせている、ということになります。

まず、あらゆる時間に関する感覚は、とても主観的なもの、というところから入っていきます。

「過去や未来は普遍的な意味はもたず、場所が変わればその意味も変わる 」

「現実、存在、現存・・絶対的なものは存在しない。あいまいで意味がたくさんある」

うーん、確かにそうですよね。筆者はピノキオの物語を例に説明していましたが、何か日本人にも「あー」と腹落ちしやすい題材は・・と考えますと、例えば、

「竜宮城ってあるのかな?」という問いに対して「あー、浦島太郎が亀に連れられて行ったところだよね」という答えと、「それは物語の中で出てくる場所だから、存在しないよ」という答えが考えられますが、どちらも間違いとは言えなくて、単に答え手の視点が異なるだけ、ということになります。

そして、視点の違いに加えて、出来事との関係、相互作用へと話が展開します。

「わたしたちのこの世界は物ではなく、出来事からなる世界なのだ」

「出来事同士の関係には時間的な構造があり、それらは幻ではない 」

「世界の出来事を統べる基本方程式に、過去と未来の違いは存在しない。過去と未来が違うと感じられる理由はただ一つ、過去の世界が、わたしたちのぼやけた目には「特殊」に映る状態だったからだ」

わたしたちの視点からは、この世界が時間の中を流れるのが見える。この世界と私たちとの相互作用は部分的で、そのためこの世界がぼやけて見える。このぼやけに、さらに量子の不確かさが加わる。そしてそこから生じる無知によって特殊な変数、つまり「熱時間」の存在が決まり、わたしたちの不確定性を量で表したエントロピーが定まる

私たちの視点はあまりにも限定的で、主観的で、選択的で・・他の物をぼやかして見えなくしてしまっているのかもしれません。だから選択的に「過去」だけが浮かび上がって見えてくるのかな、と思いました。

「私たちの思考はそれ自体のもろさの餌食になるだけでなく、思考の基となっている原理の強い制約を受けている。数百年もあれば世界は変わり、悪魔と天使魔女の世界が、原子と電磁波の世界になる」

「つまり時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主である私たちヒトの、この世界との相互作用の形であり、わたしたちのアイデンティティの源なのだ」

「そして、苦しみの源でもある。・・・愛着を持つものを失う定めにあるからだ。始まったものは、必ず終わる」

ここで「愛着」という言葉が出てきたことに驚きました。堀江貴文さんの本の中でも、やはり「愛着」に関する議論がなされていたからです。

何のために働くのか、再考
またまた堀江貴文さんの著書を拝読いたしました(^^♪ タイトルは「僕たちはもう働かなくていい」。題名からしてスピリチュアル全開です(笑)その根底にある堀江さんの信念のようなもの、がまさにスピリチュアルなのです。例えば、「遊びが仕事になる」「私の意識はすべて、"いま"に集中している」

堀江さんは、愛着とは何か。これがはっきりすれば、今後のビジネス展開にも大きな影響を与えることになるのでは、と考察されていました。

発達心理学の領域においても、愛着理論(Bowlby, J.)は「絶対にはずせない」ものになっていることからも、スピリチュアルとは関係ありませんが、「愛着」・・人間を理解する上では、どうやら欠かせない構成概念のようです。

様々な専門領域が違う方たち・・物理・ブログラミング・ビジネス・心理や精神医学・・共通しているのは高い知能(笑)だけ、でしょうか・・が、共通して「愛着」に着目する、という事実は、何とも興味深い限りです。

さらに、

「わたしは、自分が不死であるかように生きたいとは思わない。死は怖くない。恐ろしいのは苦しみであり、年を取ることだ。・・恐ろしいのは弱さであり、愛の不在である。・・時間の経過を恐れ、死を怖がるのは、事実を恐れ、太陽を怖がるようなものだ。恐れることは何もない」

この一文・・これは文句なくスピリチュアル人が持つ感覚ですよね。「死が怖くない」のは、たとえ「何となく」でも、魂がなくなることはないことを、直観的に感じているからだと思います。

時間のことを考えるのは、突き詰めれば「自分自身のことを考えること」につながる、と著者は述べていました。

「私たちを形作っているのは記憶、その意味では私たちは時間の中に存在している」

「時間の謎は、個人のアイデンティティの謎、意識の謎と交わっている」

物ではなく、出来事の連続・・そして、出来事や人との関係や相互作用・・これらが記憶となり、過去がクローズアップされ、今の「自分」というアイデンティティを作っているのかもしれません。

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