霊的成長

ヨガ 瞑想

ヨガの最終目的「解脱」とは

ヨガの目的は「解脱」とされています。仏教と同じ、ですね。この点がピリチュアリズムと大きく異なる部分となります。「解脱」・・いわゆる「悟り」を開くと言われる状態、nirvanaに入ること、でしょうか。自分もスピリチュアリズムの知識を学ぶ前は、何となく「そういうものなんだろうなぁ」と思っていました。…というか、「悟り」とか
スピリチュアリズム

長寿や不老不死を望みますか?

全く望みません(笑) これも哲学的な考察になってきます。下手すると、何だか長生きはよくない、みたいな誤解につながる危険もありますので、とてもデリケートな論点になると思います。基本的に健康なままで、身体も思い通りに痛みなく動く状態であればよいのですが、そうではない人が超・高齢化社会の昨今は大多数を占めていると思います。
スピリチュアリズム

「夜の街」を避けた方がいい理由

「夜の街」(笑)。 パンデミックのおかげ?ですっかり定着した感がありますが・・ただ、「夜の街」を避けた方がいいのはスピリチュアリズムの観点からも必要です。物質世界において肉欲の中に生きてきた人はたとえ肉体を失っても、その肉欲が消え去ることはなく、大抵の場合これまで慣れ親しんできた場所をうろうろすることになり「夜の街」
スピリチュアリズム

「神」のイメージ

物質世界では「神」と表現される大いなる存在について、スピリチュアリズムでは「大霊」とか「宇宙の摂理」などと表現されます。本当の神とは物質世界の言葉では表現できない、というのが実際のところですが、その「限界」を前提に自分なりの「神」の解釈・印象を述べてみたいと思います。ところで、「必ず摂理により報いを受ける」
スピリチュアリズム

正しい「祈り」とは

「祈り」はとてもパワフルな力を持っています。ただし、正しく理解して、正しく祈らないと全く効果はありません。祈りとはいつ、どのような形で行えばよいのでしょうか?スピリチュアリズムの観点からは、「形式的なこと」に捕らわれる必要は全く関係ないそうです。内容はやはり利己的なものは不可(笑)。ここでも大切なのは利他愛なのです
スピリチュアリズム

利他愛、奉仕と自己犠牲

哲学的な考察(笑) スピリチャアリズムで大切にされていることの一つに「利他愛に基づく行動」があります。自分のことよりも他人のことを考える、他者を助ける、他者のためになることは?を考えて行動する、など。今自分が「自他愛」の実践がなかなか難しいな、と感じることは次の二種類。①自分とは合わない人 ②対母
お知らせ

ブログを「方向転換」しました

まず最初に、今日はプロフィールを書き換えてみました。以前に作成したプロフを読み返すと、今の自分とはかけ離れた、まるで「別人」のようにも感じます。少し厳しめに言えば、「どうでもよいことに拘っていた」「あまりにも未熟、子どもじみている」という感じです。その「変化」は、心や考え方の変化だけではありません。ヨガを中心に、生活