毒親の末路について考察①はこちら。
/https://meurydice.com/toxic-mothers-fate/
毒親について…インド占星術を学び始めてから、どうやら今世のカルマはやはり「母親との関係性」であることを改めて認識しました。
西洋占星術とは全く異なる、「インド占星術」。
深く洞察するためにはもっと勉強が必要ですが、少し学んだだけでも、今世のテーマ(解消すべきカルマ)が自分のホロスコープにはっきりと表れていること位でしたら判断できます。
子どもの頃からずーっと苦しめられてきた、「毒親」との関係性…
ある意味、ホロスコープにはっきりと表れていることから、「やはりそうだったんだ」「自分がこれまで感じてきたことは間違っていなかった」と理解できましたし、不思議な安堵感?も感じました。
もうジタバタしても仕方ない。受け入れるしかない、という諦めと覚悟を決めることが出来たのです。
それ以来、毒親と接するときにもかなり穏やかな気持ちで…というか中立的な?立場で淡々と接することができるようになりました。
このままカルマを順調に解消して、早くこの世界からexitしたい(笑)。そして、できればもう輪廻から解放されたい、とか思いながら(^^;)
そんな感じで、可もなく不可もないという「親との関係性」を続けていたのですが…
昨日は久しぶりに、第三者が訪ねてきてくれたことをきっかけとして、毒親健全! 炸裂!といった「毒親ぶり」が蘇っている姿を目の当たりにして「はぁ〜」とため息が。。
がっかりする、というほどではなかったのですが、改めて「毒親はやはり死ぬまで毒親」ということを再認識させられました。
亡くなるまでに少しでも関係性の悪さが解消できて、心安らかに、穏やかに旅立ってくれればいいなぁ、、、などと淡い期待を抱いてしまっていましたが、どうやら難しそうです。残念です。
そんなことが起こった翌日…
偶然見たYouTubeの動画で、斉藤一人さんの言葉に「はっ」とさせられました。
可愛がらなかった人に、最後は世話になるんだよ。これが因果の法則なんだ。
散々可愛がった子は親の事見向きもしないの。
一番可愛がらなかった子に、世話になって親は死んでいんくんだよ。
斉藤ひとりさん YouTube動画より引用
まさに今の状況ってこれだよなぁ、と思ったのです。
地味に地道に、普通に、真面目に、規則正しく生活していた子ども時代。
なので、特別親に反抗したとか迷惑かけた、とかはほとんどありません(多分)。
にも関わらず、何をしても嫌な言葉を投げつけられた日々…
毒親が「大好きな」兄弟と比べられて、性格や人格を否定する言葉で傷つけられた子ども時代でした。
でも今は、その「毒親が大好きな」兄弟は毒親のことを見向きもしません。面倒を見ているのは毒親が嫌っていた方の子ども、という皮肉。いや、これが因果の法則なのでしょう。
そりゃあ、嫌ですよね〜(笑) 「お互いに」(*>∀<)ノ))★、ね。
誰だって、嫌いな人に自分の面倒なんてみてもらいたくないし、
誰だって、自分が嫌いな人の面倒なんかみたくない。
でも、残念ながらこれが我々の「カルマ」。因果の法則、今世で最後まで頑張って取り組むべき課題のようです。
絶対に逃げれない、逃れられない。黙って受け入れるしかないってことです。
毒親さんの方は「あらまぁお気の毒に…」(笑)。
年齢と持病の具合でおそらく、そんなに長くこの状態は続かないでしょうから(笑)、まぁせいぜい頑張ってね。Good Luck! という言葉を心の中で送っています。
そして自分の方は、いちいち毒親の毒に反応しないように…本物のYogiになれるよう、感官を制御する修行とヴェーダの学びをこれからも黙々と続けていくだけです。
正直なところ「気が滅入らない」と言えば嘘になりますが…少しでもポジティブになるために、「ラーマーヤナ」の登場人物に置き換えて考えたりしています。
毒親は、いわばカイケーイー妃のような存在かな?
自分は「森に追放された時のラーマの気持ち」を振り返ったり想像して、どうすべきか考えてみよう。
毒親が大好きな兄弟は、いわばカイケーイーの溺愛息子であるバラタ王子かも!?
(ある意味、 ラーマよりもむしろバラタ王子の方が可哀想・とんだ災難を受けた「被害者」と感じることがあります…。
同じく自分の兄弟も、バラタ王子と同様に「毒親に溺愛されたが故の被害」を受けているので、毒親とは関わりたくないという気持ちも十分理解できるんですよね…)
ラーマは森での追放生活の時に、シャトルグナとの会話で「いくら何でも、ひでえよなぁ」(笑)という意味の愚痴をこぼす場面があります。
この部分を読んだときに、「うわぁ、神様(ラーマはヴィシュヌ神のアバターラ、化身です)でさえ、人間界に下りてきて肉体の中に入ると、やっぱり愚痴とかこぼすものなんだ」と親近感を抱きました。
それでもラーマは、カイケーイーは単なるトリガーとしての役割を果たしたに過ぎないこと、は悟っていました。さすが、神様です。。
どんな経緯であっても、必ず今世でラーマは 森に追放 → シーターの誘拐 → ラーヴァナと戦う という運命からは逃れられないことを知っていたんですよね。
なので、どんなにシャトルグナや身近な家来たちに反対されても森に入ることを止めなかったし、カイケーイーのことを悪く言ってはいけない、とことあるごとに周囲の人たちを戒めていました。
なので、自分もラーマをお手本にして、毒親のことを悪くいうのはやめないといけない、と思っているところです。
毒親は単に、そういう役割(毒親としての人生を送る)を担って転生してきたに過ぎない。
毒親に出会わなかったとしても、何か別の形で試練が訪れ、結局似たような状況になっている「はず」。なぜなら、それが今世で取り組むべき、逃れられない「課題」なのだから…
なので、自分のために「悪役」を演じてくれた毒親には感謝しないといけない、ということも頭では分かっているんです。
なかなか、気持ちがついていきませんけど(笑)
ひたすら「精進せい!!」ということなのでしょう。
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