「類魂」という概念に救われる

スピリチュアリズム
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スピリチュアリズムの知識の中で、(単に自分が知らなかっただけかもしれませんがw)そう言えばニューエイジでは見かけないなぁ、と思った概念のひとつに「類魂」があります。

物質世界からまずは幽界へ。そして幽界を卒業して霊界へと進んだ後は、自分と霊的成長が同じくらいの仲間の中で暮らすことができるのですが、そのグループは「類魂」と呼ばれています。

従ってスピリチュアリズムの常識では、霊界は「血縁関係よりも類魂」の世界。

つまり、家族や親族・先祖というものは、死の直後は幽界へ案内してくれる存在になる「かも」しれませんが、基本的には(霊的成長の度合いがお互いに異なる限り)関わり合いが全くなくなる、ということなのですね。

こういう概念を知ると、地上で起こりがちな家族間の確執や仲の悪さ、自分も苦労した「毒親」について、あまり考えこんだり悩まなくてよくなります。

親だから、兄弟だから、親族だから・・どんなにひどいことをされても嫌ってはいけない。そんな風に考える自分はおかしい、恩知らずだ・・という呪縛から、多くの人を救うことになる概念なのではないでしょうか。

全然良心のとがめなく、彼らを嫌っていいんです(笑) 所詮は霊的成長が違うだけの単純な話。

その前提のもと、慈悲と忍耐の心で彼らに接すれば問題ないのかな、と感じています。

血縁関係に関わらず、霊的成長が違う人とは決して理解し合えませんし、まして仲良くなんてなれません。それはもう、どうしようもない事実。

ならば、後は必要最小限の付き合いをするとか、挨拶だけはきちんとするとか(笑)。最低限の礼節を守って付き合うしかないんですよね。

それでいいんだ! 自分だけが間違っているとか、おかしい・狂っているということではないんだと気付くだけでも、類魂の概念を知る価値は十分あると思います。

生きることの苦しさの多くは、人間関係に由来するものがとても多いと思います。仕事の場では、いついかなる時も離職の理由No.1ですよね。

「類魂」の中で暮らすことができない私たち、再生者。ある意味、このことが今世における最も辛い苦難のひとつだとも思います。

全然違う人たちに囲まれて孤立無援。その中で何とか気持ちを立て直してやり過ごしていく日々・・過酷と表現する以外、言葉がみつりません。

実際、本当にしんどいです(笑)

特にスピリチュアリズムに辿り着いた人たちは、他の人よりも孤独を感じる人生になりがちだと思います。

スピリチュアリズムはおろか、もっと広い概念・・ニューエイジとか・・でさえ、興味があったりスピリチュアルの考えに親しんでいる人は決して多くはありません。

下手にカミングアウトすればキチガイ扱いされるだろうなぁ、、、と思いながら、本当の自分は奥にしまっておいて表面上「普通の人」を演じる毎日。

「誰か、同じような人いないかな」と仲間を求め続けますが、そう簡単に出会えるものでもありません。絶対数がそもそも少ないのですから・・

無理して普通の?(一般的な)人と付き合ったところで、お互いの違和感が増大して、結局自然に離れることになります。

そしてまた、人間よりも自然の中に居ることの方にやすらぎを感じ、指導霊の存在を身近に感じながら感謝する日々が延々続く生活に戻る・・この繰り返し。

無理だと分かっていてもなかなか懲りない己の愚かさ(笑)。わかっちゃいるけど、やめられない的な。

やはり、かすかな望み「誰か、同じような人いないかな」からなかなか抜け出せない弱い自分がいるのです。

なので早く元いた場所に戻って「類魂」の仲間たちの中で心穏やかに暮らしたい…これが唯一の、「現実的な」望みです。

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