これ、以前にも書いたことがあるので繰り返しになりますが、この両者の最大の違いは「自分が一番大事」か「利他愛最重視」かになります。
つまり、スピリチュアリズムって物質世界に生きている人間にとってはかなり「厳しい」内容なんですよね(^^;)
「自分にご褒美」とか「自分を許してあげよう」とか。こういうコピーは頻繁に目にするので、逆にそれが当たり前のように感じている人も多いかと思います。
ただ、本来は病気の人・・うつ病とか神経症傾向とか・・の人に対して、こういう言葉かけが有効・・というか「やさしさ・思いやり」になりますよ、というだけのことで、普通に元気な(笑)人は敢えて気にする必要性は元々ないみたいです。
特別意識しない限り、多分我々は「自分には甘・甘」というのが普通ですよね。
疲れたら眠りますし、おなかがすけば何か食べますし、別に我慢したりしません、普通は。それに誰でも、他人のことよりやっぱり自分のことを優先させるでしょう。そうしないと、たくましくは生きていけない。
この「意識しなければ(誰でも自分には甘い)」というところがポイントなのだと感じています。
「高次の霊的存在をモデルにして、彼らのように無私無欲で・・」というのがスピリチュアリズムのおすすめ!ではありますが、物質世界で肉体を持って生きている限り、これは常に内的葛藤を伴う難しい問題です。
そこで・・何か行動するときに「ん? これはあまりにも利己的なことではないかな」と意識することに、まずは取り組んでみるとよいのではないでしょうか。
たとえば、仕事などで誰かにいらっとしたときも、「ん? 自分に都合よく相手を動かそうとしていないかな? それって単なるエゴだよね~態度改めないとまずいな」と反省するきっかけにする、とか。
スピリチュアリズムの高尚な目的からは少しずれるのかもしれませんが、1人ひとりがこんな感じで「自分の行動を振り返り反省する」ことを心がけていれば、世の中は自然と思いやりに満ちた世界に近付き、なんとなーく居心地のよい空間になるような気がします。
なので、「スピリチュアリズムは敷居が高い。キビしいもんねー」と感じている方も多いかと思いますが、まずは日々の振り返り・自己反省(笑)からスタートする・・というのも「あり」なんじゃないかなぁ・・と個人的には思っています。
実際、自分もまだまだ「利他愛行動」は難しくてとても「出来ている」なんて言えません。なので、全然高次霊の計画に貢献できていませんし・・(高次霊の方々、すみません)<(_ _)>
それから、ニューエイジの代表的存在とも言える「バシャール」について、援護射撃を。(笑)
スピリチュアリズムの知識を知る直前のこと。それまで大好きだったバシャールになぜか急激に興味が薄れる、ということを経験しました。
そして先日、久し振りにバシャールの言葉を何気なく読んでみたところ、やはり励まされるというか・・元気がでます。力をもらっているという実感があり、頑張ろう!という気持ちになれます。
なので「バシャールは低級霊」という意見もあるようですが、私はやはり今でもバシャールは好きです。わくわくを感じるのも、物質世界ならではの楽しみとして許されていいのではないでしょうか。
地球に生まれたのは第一義的には「修業のため」であることは理解しつつも、せっかくの機会ですから楽しいこともどんどん経験して良いかと・・そのことに「罪悪感」を感じる必要性も意味もないと思います。
そんなことで、神様が怒ったり不快に思ったりするはずがない、と思うのです。
要はバランスの問題。
霊主肉従の原則は崩さないように心がける、ということではないかと。
この世の苦しみはカルマ解消のためのありがたいもの、という認識で積極的に受け止める、取り組む、過去を振り返って反省する。
そして、逆にワクワク・楽しいことはきっと、自分にとって良い意味を含んでいるはず! と捉えてそれを追いかけてみませんか!? その先に、何か新しい世界が待っているかもしれません。
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