仕事もスピリチュアルもwin-winで

スターシード・ライトワーカー
google ad1 upper place

スピリチュアルな人は、「楽観的」に物事を見る「癖」のようなものが身についていて、一般的な感覚からは大きくずれている(笑)と思います。

例えば、テレビ・ニュース。スピリチュアルな人は「そもそも見ない」人の方が多いと思いますが、例えば自分の場合にはたまに実家で見たときなど、悲惨なニュースを目にしたりすることがあります。

そのような時は一瞬「ぎょっ」としますが、まずは自分自身の気持ち落ち着かせるようにしています。グラウンディングを強く意識、深呼吸・・それから、犠牲者とご家族の心の平安を祈ります。

その時の気持ちは、「外部で何が起ころうと、自分は落ち着きと平安を保てる」という独特の感覚です。もしかすると、こういう感覚は「普通」からすると「不謹慎」なのかもしれません。

でも、痛ましいことにそのままずるずると気持ちを向け続けることは、自分自身を傷つけてしまうことになりかねません。

なので、気持ちを切り替えて心の平安を保つことが大切だと思っています。それは、そのことが巡り巡って地球全体、周りの人々の平和や安全・安心にもつながってくると信じているからです。

似たような文脈で、最近、人との付き合いの中で「だんだん波動が合わない?と感じ始めたとき、どうしたらいいのかな」と考えることが多くなりました。

例えば、将来住む家のことなど・・普通の人にとっては、お金を貯めて家を買って・・と老後のことを真剣に考えるものなのでしょう。でも、自分にとっては「今」が全てであり、将来に対しては「不安」よりも楽しみ・わくわくを感じています。

なので、友人から何度も繰り返し「将来に対する不安」の話をされると、正直キツイです・・(;_;) 「自分はそうは思わない」とは普通の人に対して(笑)言えませんし。「そんな風に思っていると、本当にそうなるからやめて」とか、言いたいけど言えない笑笑

「自称スピリチュアル」を語る人たちでさえ、ネガティブなことばかり想像して「絶対そうなる」とか言い切ってしまうくらいなので、まして普通の人なら仕方ないなぁ、とは思うのですが。。

「もう年だから」とか、様々なことを年齢のせいにしたり、自分のことを「年寄り」扱いするのも正直好きではありません。年齢よりも自分がどうしたいかを(周囲に迷惑かけない範囲で)優先していますし、「年齢」と「自分」って、関係ないように感じているのです。

別に、自分のことを「若い」と思っているとか、そういうことではなく単に「自分」というアイデンティティの中に「年齢」という要素を含む必要性を、今は全く感じていないだけのことです。

何かやりたいことがあるのに、もう自分は年だから・◯歳だから・・って、あきらめる必要があるのでしょうか? やりたければ、言い訳なんかしないでどんどんやればいいのに、って思います(笑)

スピリチャアルは素晴らしいと思いますが、こんな感じなので年々友達や付き合える人が減り続けます(笑) だから「1人」の時間が増えるのでしょう・・それを寂しいとも苦痛とも思わないところがますます「変な人っぽい」のですが(^^;)

それで、ただでさえ少ない友人をw 安易に切り捨てていいものか・・と悩むことになります。ものすごく本音のレベルでは「自分は構わない」のですが、相手に少し寂しそうな様子が見られるときなど、無下に誘いを断るのもなぁ、、と思います。

こんなときは、やはり「自分を大切に」を第一に考えつつ・・①「相手がスピリチュアルに目覚めて、自分と似たような感覚を持つ」ことを期待する ②①が無理なら、相手が新たに話が会う友人と出会い、寂しさを感じることなく今後も暮らせるよう祈る 

と「願う」ことにしました。これなら自分も相手もhappyで、まさにwin-winの関係になりますよね(^^)

win-winって元々はビジネス用語だと思いますが、「ワンネス」を思うことが多い昨今・・ますますこの考え方の素晴らしさを感じています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました