「今、ここに生きる」ことと同じくらい大切なのは、「言葉の選び方」ではないでしょうか。昔から日本には「言霊」という言葉・考え方がありますよね。
私たちは経験上、あながちこれが迷信とは言えないことに心の奥底で気がついているようにも感じます。
今日の自分は、言葉について様々なことを「引き寄せた」ようです。
まず1つ目・・今読んでいる本「響きわたるシベリア杉」ウラジーミル・メグレ著 の中からの引用です。
私はひとつひとつの言葉の奥に、たくさんの行事と喜びに満ちた情景を再現した。だから、それらはすべて現実になる。そもそも、思考と言葉は、偉大なる想像主がもつ主要な道具で、体をもった全創造物の中で、人間だけがこの道具を与えられている
彼らが魂と言葉とを結ぶ糸を切るとき、魂は空になってイメージが消失し、言葉が空になって、ただの音になる。こうした言葉は、何ひとつ未来を創り出すことはない
このように、言葉の持つ力について考えさせられる・・・というか、納得させられる「そうそう、その通りよね」と思える文章に出会いました。
ここのところ少し気持ちが参っていましたが、そのまま「気持ちが参って」と言ってしまうとその状態が確定してしまいそうで、少し怖いな、と思います。
では、どうすれば良いのか?
ネガティブな気持ちを持つのは自然なことなので、否定せず静観してさらりと流し、発する言葉は慎重に選んでポジティブなものに変換しないといけませんね。
ところで、引用の中の「言葉が空になって」というフレーズに出合ったときは少し驚きました。「それって Le parole vuote sono inutili. (Empty words are useless.) と同じこと!? 」と思ったからです。
これは自分にとって、一番大切な人との会話の中で出てきた言葉です。その会話のときもとても印象に残ったのですが、これこそまさに「言霊」「言葉の力」のことを言っている、と言えるのではないでしょうか。
更に2つ目・・前述のことをきっかけに、大・大・大好きな作家である村上春樹さんの小説「騎士団長殺し」にも、次のような印象に残るフレーズがあったことを思い出しました。
言葉をお捨てなさい。言葉は石になります。
「言葉は石になる」・・・騎士団長殺しを読んだときには、この言葉のことがしばらく頭から離れず、呪文のように(笑)しばらく言い続けていました。そして、自分が発する言葉には不思議な力が宿り責任が伴うということも、深く自覚するようになりました。
そして3つ目は・・先ほど、私のことをいつも気遣ってくださる人生の先輩から、次のようなメッセージをいただきました。
無理をせず時の流れに任せて、(天使やアセンデッドマスターなどに)「良い方向に行くように」と声に出して助けてもらうといいですよ。小声でもいいから、声に出すと気づいてくれるらしいです。
これは言葉そのもの、の話ではありませんが関連事項ということで・・「声に出す」という方法が自分にとってはとても新鮮に感じました。
自分にとって天使に「助けて!」とお願いするのは比較的「普通の」ことで、特に大天使ミカエル様(笑)にお願いすることは日常的に多々ありますが、いつも心の中でひっそりとお願いするようにしていました。そういう時って、人混み・電車の中とかが多いので・・。
でも、もしかすると声に出さなければ聞こえないのかもしれませんね。
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