(今更)「鬼滅の刃」デビュー

本 記事 その他情報
google ad1 upper place

先日、「鬼滅の刃」のライン用スタンプをいただきました)^o^(♡

元々興味はあったのですが、デビューし遅れていた(笑)「鬼滅の刃」。今回の嬉しい贈り物がきっかけで、隙間時間に少しずつアニメの方で見始めています。

まだまだ先は長い…今22話(笑)ですが、この時点で感じたことをメモしておこうかと。

ただの「感想」を書いてもツマラないので、やはりここは、スピリチュアリズムと絡めて感じたことを書きたいと思います。

あ、スピリチュアリズムとは関係のない感想も含んでいますw

日本的な要素と西洋的な要素が程よくブレンド

時代背景は「大正時代」。

「鬼」という概念や「剣で戦う」とか、基本的には「昔の日本」が前提であり舞台となっています。

その「鬼」なのですが、英語の字幕に表示されているのは’demon’です。

鬼って海外ではdemonと訳されるのね…なんて思いながら作品を見ていましたが、この「鬼」。

我々日本人が思い浮かべる「鬼」とdemonって、少しニュアンスが違うようにも感じます。

これは自分の主観ですが、「泣いた赤おに」という作品が大好きな筆者としては、「鬼が人を喰らう」というところにまず違和感が。。

確かに鬼は「悪役」として昔話に登場しますが、どちらかと言えば盗賊?のような印象…人を殺すのではなく、家や町を暴力を用いてのっとって、やりたい放題&豪遊する!? みたいなイメージです。

まぁ、悪い事をしているのに違いはありませんが(^^;)、あまり「人を殺す」とか「人を喰らう」というイメージはありません。

とすると、鬼滅の刃で鬼、として描かれているのは何なのか?

自分としては、一番しっくりくるのは「アンデッド」とか「ゾンビ」で、映画で言うなら「バイオハザード」(原題 Resident Evil) でしょうか。

戦う毎に強くなる主人公の妹(ねずこちゃん)なんて、まさにバイオハザードの主役アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)そのもの~ と思いながら見ています(^○^)

日本人もアンデッドものが好きな人はいることにはいますが、これはもう絶対的に、欧米の方が段違いで人気のネタ、テーマと言えるでしょう。

そう、鬼滅の刃って、全く新しいジャンル…日本的でありながら、西洋的なテーマを融合している…といっても良いのではないでしょうか。

根底にあるテーマは「愛」「みんな繋がっている」

…ではないかと感じています。

そして、今回このことが一番書きたかった(笑)。だからこそ、こんなに人々の共感を得て爆発的人気を得ているのでしょうね…

スピリチュアリズム的には「下から二番目に波動が低い」www地球ではありますが、まだまだ希望がある! 捨てたもんじゃない! と嬉しくなります。

一方で、波動が低い地球だからこそ、「人を喰らう」とか「戦う」という描写が創造されるのかもしれません。

ただしこれは「作者が悪い」訳では全くなく、地球が舞台である以上仕方のないことだと思います。

まぁ…「人を喰らう」のも、vegan的見方では「人間が動物の肉を食べる」とほぼ同義・同印象になってしまいますが。。(^^;)

話がそれましたが、作品に描かれる「鬼との闘い」で最も印象に残るのは、首を切る等の残酷な描写ではありません。

その辺りは、いつの時代も「残酷」「子どもに良くない影響」という批判が起こると思いますが、少なくとも我々大人はこれらを事実として作品を見てはいないでしょう。

自分としては、ひとつの「メタファー」だと思っています。

例えば、実際に人と争うことは日々ありますよね、この世に生きている以上。でも、実際に相手を「殺す」ことはありません(笑)

この「争い」の表現を「剣を用いた死闘」として描いている、という風に理解しています。

そして主人公のすごいところは、戦う相手の気持ちに思い至るやさしさと強さ…「愛」を持っていること。

戦いの後「成仏してください」と相手の遺体に手を合わせる姿にも、その気持ちは表れていますね。

それ以外にも、鬼が人間だった頃に書いた小説? 作品の原稿…鬼にとってはとても大切なもの…を「足で踏まないように気を付けながら戦う」とか。

そして悪役の鬼は、どの話においても「絶対的な悪」としては描かれていません。

人間だったときの記憶…鬼になると忘れてしまうようですが…を、鬼が死ぬときに走馬灯のように思い出すシーンがあります。

誰もが人間のときに痛ましい…虐げられたり、理不尽な扱いを受けたり…といった経験をしていることがほとんどです。

人間として亡くなっていたら、きっとこんなことにはならなかった(狂暴化しなかった)のでしょう。。

人間ならば必ず、誰もが持っている暗い側面と明るい側面、二面性。

鬼の中に己の姿を見るのと同時に、主人公の中にも自分に近いものを感じる…が、この作品を通していつも感じることです。

スピリチュアリズムと絡めてこれを表現するならば、やはり「我々は根底の部分で繋がっている」ということ。

スピリチュアリズムには「愛せない相手を愛する、奉仕することが魂の成長に欠かせない」という考え方がありますが、主人公は自分では意識せずにこのことを実践しているのかも…と感じながら毎回作品を観ているところです。

少し長くなりました。

まだ書きたいことがありますので、続きを別の日に書きたいと思います。



コメント

タイトルとURLをコピーしました