経済活動を止めずにCovid-19は対策できる

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・・という、イスラエルのコンピューター科学者であるAmnon Shashuaさんの説を先日、朝日新聞デジタルで拝見しました。その記事が限定公開で残念ながら引用することができませんので、代わりに元論文を。。

Can we Contain Covid-19 without Locking-down the Economy?
We present an analysis of a risk-based selective quarantine model and tackle the question of whether this model is safe ...

さすが科学者・・という感じで、大変理論的・合理的かつ、数学を用いてリスクが最小限になるよう計算されているので、これを実施しない手はないのではないかなぁ、、、、、、と個人的には思います。誰かエラい人(笑)、国や県のトップの方々・・真剣に検討してもらえないでしょうか。

今抱えている問題は、①経済活動が止まることによる生活への負の影響、人々の困窮・失業 と、②感染者が爆発的に増加することで医療がひっ迫する ことについて、どう折り合いをつけていくのかということ。

もうひとつ、今回様々な感染症対策に大きな影響を与えているのが、covid-19の「最大の特長」とも言える「かなり多くの人は無症状・たいした症状がないことであり、一部の人だけが重症化、最悪死に至っている」という事実。

Shashuaさんの理論では、これらが全て変数としてていねいかつ科学的に検討されています。まず、67歳以上とそれ未満をグループ分けして、「ハイリスク」「ローリスク」二つの集団を仮定します。

その67歳の「根拠」ですが、詳しくは元論文を参照ください(笑)。イスラエルの人口や疫学的データから割り出したものと思われ、日本で計算した場合にはこの「年齢」は違うものになることが予想されます。

covid19の感染により重症化する罹患者のほとんどは「ハイリスク」集団から出ていることが、これまでの流れから分かっています。逆に、「ローリスク」集団に属する人が感染したとしても、ほとんどは無症状・軽傷で重症化する事例が少ないことから、万一このグループから重症者がでた場合に必要なICU、機材の数をコンピューターにより計算で割り出します。

その「数」を現状と比較して、現状(医療機関が対応可能)な数 > コンピューターが計算した数 が成り立てば、「ローリスク」グループへの行動自粛を解除、「ハイリスク」グループのみ現状の措置を引き続き講じます。もちろん「ローリスク」に属する人でも、本人が現状の自粛生活を望めばそれは選択自由、ということになります。

このことにより「ローリスク」集団の中に効率的かつ安全に集団免疫が獲得されていくことになり、かつ、医療もひっ迫されずに対処できることになります。将来的にはある時点で(・・これも、きっとコンピューターで計算できるのでしょう) 「ハイリスク」集団も徐々に行動制限しなくてもよくなる、という道筋になります。

とごろで・・この数カ月で以前とは全く違うものになっている我々の生活。

「もう元には戻らない」ということは誰の目にも明らかです。なので、stay homeの週(笑)を利用してCovid19「後」の生活について「自分は」どのようにしていくのか・・を考えている方は、きっと少なくないのではと思います。

集団という視点からとらえると、これまで多くの人が「おかしいな」と感じてはいたけれど、「仕方ない」「そういうものだ」とあきらめていたことが、大きく動いて本来あるべき姿に戻りつつあるのでは・・と感じるところが大きいです。

以前も書いたことですが「建物」「家賃」「箱もの」「それらを通して、持つものと借りるものの関係性や不平等」という概念がかなり鍵を握っているような気がしています。

今後は「箱」がいらない業界(ホテルやシアターなど短期的に利用するものを除く)しか次第に成り立っていかなくなるかもしれません。それに伴って食の産業、教育や保育、人々の住居が大きく変わると思います。

食はテイクアウトで、の流れが今後も続くでしょう。教育は集団よりも個々の活動がメインとなるため、無理なく個人の発達に合わせた教育が行えるようになり、「いじめ」「自殺」もなくなります。

保育は原点回帰で「本当に必要な人」だけが利用するものになるでしょうし、並行して誰もが「自分で子育てをする権利」が守られ、幼児未満の保育そのものはもうなくなるのかもしれません。(被虐待のリスクがあるなど、特別な配慮が必要な場合を除いて)

教育と保育を概観すると、教育は比較的スムーズにオンライン教育に入っていけていると感じますが、混乱しているのは幼児教育や保育の方でしょうか。教育に比べると保育のほうが「無茶でカオス」な状況だった、ということの結実かもしれませんね。

これまで「誰もが不本意に行っていたこと」。例えば、病気の子どもを無理やり保育園に預けてまで仕事に行かなければならない親と、それを受ける保育者の複雑な思い、当事者である子どもの身体的・精神的辛さ・・こういったことの総体的な観念が今の事態を「引き寄せている」のかもしれません。

教育の問題に限らず、「何かおかしい、間違っている」と感じながら「仕方がない」とあきらめていたこと。これらに解決の道筋を与えるきっかけとして、今回の混乱を逆に利用しない手はないと思います。

例えば「夜の仕事」に就いていた女性たちも、これをきっかけに自由に解放されてほしいと心から思います。きっと今、「本当に自分がやりかたったことは何なのだろう?」を考える機会になっていると思うのです。

そういう刺激(笑)を欲する男性に必要なのは・・パチンコなどが「やめられない」人も同じ部類だと思いますが・・、依存症などをコントロールするための「医療的支援や対策」の方。女性が犠牲になる必要は少しもないことに誰もが気づいて欲しいですし、お金を持っている人は良識を持って投資先を選んでほしいです。

「組織」も崩壊気味ですよね。時代は確実に「個」に移っていると感じます。人を支配する性質の組織はどんどん今後も崩壊に向かうでしょうし、逆にこれまでも個別性や個々、「人」を大切にしてきた組織は今後も存続していくでしょう。

高齢者問題にも大きく影響しているCovid-19。まさに「ハイリスク」グループである高齢者をいかに守るのか、が今回大きな焦点になっています。世帯内の感染も問題視されていることから、家族が離れて暮らすことになったケースも。

ふと気が付いたことなのですが・・これって元々介護保険が目指していた「家族単位ではなく、個に対応する」という考え方が、あまり意識されないまま実現化しているように思うのです。

これまではどうしても「家族」が関わらざるを得ないケースが多かったと思います。言い方はよくないかもれしませんが、明確な言い方をすれば「子どもが自分の人生や生活を犠牲にして対処する」というもの。よく話題になってましたよね、「介護離職」とか。

でも、今回それが「個別、個人対応」にならざるを得なくなっている。

子ども側からすれば心配で気持ちもざわざわしますが、意外と上手く生活できている様子を介護の専門家から伺うことで、「必要な環境が整えば、必ずしも子どもが対処しなければならない、というものではない」ことが実感として分かります。

身内だと「イラっと」(笑)することでも、他人かつ専門家からすれば「どうってことない、ささいなこと」なのかもしれません。

高齢者本人にとっても、顔色を伺わずに済む、やさしい人にやさしい言葉をかけてもらえて嬉しい、という気持ちの方がどうやら大きいようで、気持ちも安定するみたいです。

その他にも、今後の世界を考えると・・「だれもが家賃から解放される」「富の再分配」「ベーシックインカム導入」「最低限の生活が保障されることで今の仕事をやめる人が想定以上に多い」→「搾取する・される関係性の元に成り立っていた組織が崩壊」

「誰もが自由にやりたいことをやる」「自然と調和した暮らし」「サステイナブル」「プラスチックを使わないですむ世の中」「都市から地方へ分散、一極集中の解消」「人々が協力する」などなど・・その結果として人々の精神的・身体的健康が取り戻される、自己治癒力が高まり医療現場の負担が減る。

考え出すときりがありません(笑)

本当に必要なものと必要のないもの、本物とにせものとに分かれていく・人々が「気付く」機会の提供・・これこそが、Covid-19の「意味」なのかもしれません。

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