瞑想など、自分の内側に意識を向けることが習慣になると創造性が豊かになったり、啓示やインスピレーションのようなものを受け取ることが多くなってきます。
インスピレーションとは、一体どこからやってくるのでしょうか?
間違いなく言えるのは、今の(物質世界の・身体的な意味での)自分ではない、ということ(笑)
ある意味自分自身でもありますし、自分以外とも言えます。どういうことかというと・・
まず、「天才」と言われる人たちに訪れるインスピレーションは、やはり神・高次の存在からの「ささやき」ということになります。
人の役に立つ発明・発見をするこということは、壮大な霊的計画の下でなされている、ということです。
今、その知識や芸術などが人類にとって必要で役に立つからこそ、霊界が適切な人を選んで啓示した、ということなのでしょう。
一般人(笑)にも、インスピレーションがやってくるときはもちろんあるかと思います。自分にも、ささいなものであれば日々、訪れています。
一般的なスピリチュアルでは、「ハイヤーセルフからのメッセージ」とされることが多いかと思います。もちろんそれは「正しい」のですが、もう少し正確に表現するならば、ハイヤーセルフも含めた霊的存在・神 ということになります。
神様と私たちは、やはり繋がっているんですね(*^^)
なので、インスピレーションを受けたときにはまず「感謝」します。それから、受け取った内容を日常に活かして周囲に貢献することを意識すると、不思議なほどスムーズに事が進みます。
逆に、インスピレーションではないことをインスピレーションと勘違いした場合には、大抵の場合何かを進めようとしても上手くいきません。この辺りが、本物のインスピレーションと、単なる勘違いwとを見分けるポイントになります。
では、インスピレーションを受け取りやすくするためにはどうしたらよいのでしょうか。
やはり基本を守ること・・「霊主肉従」の努力、奉仕と貢献(利己主義の反対)の二つを実践しているかどうか、にかかっています。つまり、霊的向上が必要ということですね。
瞑想の習慣はインスピレーションを受け取りやすくするのに、とても有意義で効果があります。ただ、「形にこだわる」必要はないです。(断言!!)
それよりも基本。繰り返しますが「霊主肉従」の実践と、利己主義になっていないか、の方がずっと大切。
最近、ヨガをしているときにやたらと、仕事に関する様々なアイデアが頭に浮かぶことが多くなりました。
うーん、雑念が浮かんで困る・・と、頭から追い出そうとしますが、なかなかうまく行きません。まだまだ修行がたりん(笑)と思いながらも、その思い浮かぶアイデアがなかなか良い感じなので、無下に「雑念」として払いのけようとするのを止めてみました。
「修業が足りん」のは残念な事実ですがw、もしかするとそのインスピレーションで得たことを活かせれば、仕事を通して他者の役に立つこと、貢献できることへと繋がるような気がしているからです。
これは、以前から「やってみたいな」(自分だけではなく全体の幸せにつながるような、自分なりに考え抜いた夢・計画がありました)と思っていたことで、パンデミックその他の影響で「半分あきらめ」かけていたことへの「再挑戦の機会」になるかもしれません。
これから半年が勝負。心から「利己心」はなく、「全体の幸せのために」真剣に取り組む決意を新たにしたところです。
受け取った啓示・インスピレーションに感謝しながら、今、自分にできることを進めていきたいと思います。
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