自分は、全く望みません(笑)
これも哲学的な考察になってきます。下手すると、何だか長生きはよくない、みたいな誤解につながる危険もありますので、とてもデリケートな論点になると思います。
スピリチュアリズムを知ってから、このことをよく考えるようになりました。
「長寿」は普通、祝うものですよね。一般的常識的にはよいこと、とされています。
また、「不老不死」とか「永遠の命」(もちろん肉体を持ったままという意味で)とか・・人間が望むけど得られないとされるものNo.1的な。結構映画にも出てくるようなテーマだと思います。
ちなみに・・スピリットの世界に戻ると、容姿は「一番美しい」状態になることが多いみたいです。霊的成長と共に身にまとう「光」も増えるみたいなので、移行したばかりの人から見た霊的存在は「とても美しい」と感じるようです。
基本的に健康なままで、身体も思い通りに痛みなく動く状態であればよいのですが、そうではない人が超・高齢化社会の昨今は大多数を占めていると思います。
自宅で生活することが困難になり施設に入ったり、自宅で生活を無理に続けていても、不衛生で快適ではない暮らしをしていたり。
身体のあちらこちらが痛んで辛かったり、歩行が困難になったり。
生活上の楽しみをみつけることが難しくて、ただ生きているだけの状態だったり。
これまで簡単にできていたことができなくなって、強い不安を感じていたり。
…数え始めるときりがありません。
もちろん高齢の方で、毎日をいきいきと生活されている方もたくさんいらっしゃいます。この差はどこからくるのでしょうか?
スピリチュアリズム的に考えればカルマかもしれないし、今世において自分で行ったことの反省償いの意味があるのかもしれません。
何れにしても、その辛さを乗り越えないと霊的に成長できない、というのが摂理に則るということだと思われます。
ただ・・端から見ていると辛く、痛々しいです。
身体を動かすたびに「痛い」と言って辛そう。
何をする意欲もなく、一日中ごろごろしている。
病気の症状に悩まされて、気持ちが沈んでいる。
物忘れが進み、思うようにいかないことが多くなりすぎて、不安な気持ちになる。
この状態で幸せなのかなと、つい考えてしまいます。自分には何もできない無力感も感じます。
しかも、スピリチュアリズムを知り、スピリットの世界があまりにも素晴らしく快適なことを学んでしまったため、余計にそう感じるのです。
今のこの状態でいるくらいなら、むしろ霊界に入る一歩手前(幽界)でのんびり快適に暮らす時間を好きなだけ取らせてあげたいな、と。
とは言え、スピリットの世界に移行できる時期は神様が決めること。誰にも、本人さえも、それを無理やり縮めることはできません。許されません。
出来るだけ会いに行く機会をつくり、自分にできることはするようにしていますが、何かもっと出来ることはないかな、と・・最近はそのことばかり考えています。
自分も今世での修行は辛くて早くあちらに移行したいですが(笑)…きっと高齢者の方はもっと辛いんだろうな、と思うのです。
早く自分自身のカルマなり今世での課題をクリアして、本当は今世にいる間に、快適でのんびりとした時間をとられてあげたいと願いつつも、それが無理なのであればせめて、幽界でその願いを叶えてもらいたいと思います。
これって、現生の言葉でいえば「早く死にたい」とか「早く死んだ方が幸せ」とかになってしまうので、まともな感覚の人からは「ぎょっと」されてしまいますよね(^^;)
スピリチュアリズムの観点で物事をみれば、全く逆なのですが・・生き続けること=ただただ、修行、辛い。早く移行したい(笑)
でも、それが自分の霊的成長につながっている、ということが分かっただけでも自分は幸せなのだと思います。
自分のことはともかく、高齢者のために何かできることはないのかな、と「祈り」を続けながら、目の前のことに淡々と取り組み、できることを行う日々です。
何か啓示があればよいのですが…これからも「祈り」続けます。
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