スピリチュアリズム

スピリチュアリズム

ニューエイジとスピリチュアリズムとの違い

この両者の最大の違いは「自分が一番大事」か「利他愛最重視」かになります。つまり、スピリチュアリズムって物質世界に生きている人間にとってはかなり「厳しい」内容なんですよね(^^;) 「自分にご褒美」とか「自分を許してあげよう」とか。こういうコピーは頻繁に目にするので、逆にそれが当たり前のように感じている人も多いかと思います。
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自殺してはいけない理由

スピリチュアリズムの知識を学ぶと、早く今世を卒業してスピリットの世界に戻りたくなります。でも、絶対にやってはいけないこと・・それが自殺です。あくまでも、スピリットの世界に戻るときは「自然死」でなければなりません。また、突然命を奪われるようなこと、事故死や戦死なども出来る限り避けた方がよい「死に方」に含まれます。
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長寿や不老不死を望みますか?

全く望みません(笑) これも哲学的な考察になってきます。下手すると、何だか長生きはよくない、みたいな誤解につながる危険もありますので、とてもデリケートな論点になると思います。基本的に健康なままで、身体も思い通りに痛みなく動く状態であればよいのですが、そうではない人が超・高齢化社会の昨今は大多数を占めていると思います。
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「夜の街」を避けた方がいい理由

「夜の街」(笑)。 パンデミックのおかげ?ですっかり定着した感がありますが・・ただ、「夜の街」を避けた方がいいのはスピリチュアリズムの観点からも必要です。物質世界において肉欲の中に生きてきた人はたとえ肉体を失っても、その肉欲が消え去ることはなく、大抵の場合これまで慣れ親しんできた場所をうろうろすることになり「夜の街」
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「霊主肉従」の実際

「霊主肉従」具体的には、次のようなことを実践することを表しています。✴︎必要以上のお金や物質をやたらと求めたり執着することを止める ✴︎食べ過ぎない、飲み過ぎない ✴︎肉体的快楽に溺れない ✴︎適度な運動、歩行 ✴︎清潔の習慣、お風呂やシャワー ✴︎スピリチュアリズムを学ぶ ✴︎静かに自分の内面に意識を向ける時間を持つ。瞑想や呼吸法など
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「祈り」が届かないとき・その理由

自分の「祈り」がどうしても届かないなぁ・・と悲しい気持ちになったときに読んでいただければと思います。何故かどうしても「これだけは未だに叶わない」という願いごとがあるのではないでしょうか。「祈り」が届かない理由の最たるものは、「その願いがかなうと当人にとってよくない、むしろ害を及ぼす可能性が高いから」になります。
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「神」のイメージ

物質世界では「神」と表現される大いなる存在について、スピリチュアリズムでは「大霊」とか「宇宙の摂理」などと表現されます。本当の神とは物質世界の言葉では表現できない、というのが実際のところですが、その「限界」を前提に自分なりの「神」の解釈・印象を述べてみたいと思います。ところで、「必ず摂理により報いを受ける」
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正しい「祈り」とは

「祈り」はとてもパワフルな力を持っています。ただし、正しく理解して、正しく祈らないと全く効果はありません。祈りとはいつ、どのような形で行えばよいのでしょうか?スピリチュアリズムの観点からは、「形式的なこと」に捕らわれる必要は全く関係ないそうです。内容はやはり利己的なものは不可(笑)。ここでも大切なのは利他愛なのです
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利他愛、奉仕と自己犠牲

哲学的な考察(笑) スピリチャアリズムで大切にされていることの一つに「利他愛に基づく行動」があります。自分のことよりも他人のことを考える、他者を助ける、他者のためになることは?を考えて行動する、など。今自分が「自他愛」の実践がなかなか難しいな、と感じることは次の二種類。①自分とは合わない人 ②対母
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「死」に対する正しい認識

スピリチュアリズムの中でも特に、最も広い層に知らせたい・浸透させたい考えのひとつに、「死」に対して正しい認識を持つこと、が挙げられます。物質世界 = 地獄(笑) で、死んだ後どこにいくのか。①死ぬときは無意識(基本。よほど高いバイブレーションの方は、意識があるかも)、「眠る」感じ。まずは深く眠って「休む」