年末年始は普段よりもむしろ忙しくて(笑)、全くPCに触れる時間もありませんでした。それにしても今年初のタイトルが、まさかの「寿命」になるとは…(;^ω^)
忙しくはしていたのですが、移動中やすきま時間にじっくりと本を読む時間はとれました。今読んでいるのは、塩野七生さんの著書「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」上・下二冊です。
ちょっと変わった?? 中世の(ある意味ヒーローとも言える)神聖ローマ帝国皇帝ですので、好きな人はかなり好き、という熱狂的なファンも多いのではないかと思います。
実は、世界遺産に登録されているお城「カステル・デル・モンテ」の近くまで行ったことがありながら、都合で訪れることが出来なかった経験があり、以前から気になっていた歴史上の人物。。
偶然塩野七生さんの本を見つけて、あっこれだ!! と思い迷わず読んでみることにしました。
内容も素晴らしくて、一言で感想を言うならば…「早すぎたヒーロー、降臨」のような側面が強いかな、と思いました。
早すぎた…時代が追い付いていない、という点については、ナザレのイエスも同じ状況でしたね。
もちろん理解者も周りにいて、だからこそ現ドイツ~南伊~シチリア、そしてエルサレムという壮大な領地を治めることが出来た訳なのですが…法王との確執、いや、一方的で執拗な嫌がらせ(笑)に生涯苦労させられた方ではないかと。
この本自体のことはまた別途どこかで書けたらいいなと思いますが、今日の論点はそこではなく(笑)、タイトルのとおり55歳(頃)の寿命について。
フリードリッヒ二世は55歳で亡くなりました。13世紀に生きた人々の平均寿命が何歳なのか知りませんが、50代で亡くなる人は多かったみたいです。
女性の場合には、出産を経験するので20-30代で亡くなるなんてことも珍しくない時代でした。
逆に、70代まで長生きする方も少数ですが登場していましたので、かなり個人差が大きかったのかもしれません。
以前、定年55歳説…というぶっとんだ内容を書いたことがあるのですが、
今回は寿命の話です。「中世の人は50代で亡くなっていたのか…うらやましい」(笑) という何ともスピリチュアリズム的な感想を持ちました。
そもそも、どうして人間の寿命ってこんなに長くなってしまったのでしょうか。
医療が進歩して、衛生状態や栄養が良くなったから?
子どもが貧困・栄養問題や病気で亡くなるのは不幸なことで、医学の進歩はその観点からは発展してよかったと思います。
ただ、それが本来の「人間の自然な寿命」を摂理に反するほど伸ばしてしまっている可能性はないのかな、と考えてしまいました。
自分の親を始め、高齢者の多くは認知症に罹ります。デイサービスなどで手厚い介護を受けて、楽しく過ごしている姿はみかけるものの、その時以外は当人はどう感じているのでしょうか。
正直なところ、「幸せな」認知症の人っているのかな、と思ってしまうのです。
物忘れが多くなった自分に不安を感じたり、段々歩けなくなってきて、少し歩いただけで座りこんでしまったり。腰や脚が痛い、と訴えたり。
周りの人に「迷惑をかけている」と感じたり。
以前は簡単にできたことが、今は全然できなくなってしまったことにショックを受けたり。
少なくとも、自分の親を見る限りでは「幸せ」には見えません。辛そうだな、という印象しかありません。
スピリチュアリズムの観点からみれば、親が自分の体の痛みに苦しんでいる様子を見ると、「肉体から解放されたときにはきっと、身軽になってきっと喜ぶだろうな」と思います。
でも、それがまだ許されない…ということはきっと、当人が未消化のカルマに取り組んでいたり、この世の修行を終えていない、ということもあるのでしょう。
そしてその親をどっぷり介護…とまではいかないものの、なんとなーく「世話をしなければならない状態」の自分も、カルマ解消の過程にいるんだろうな、と感じています。
今はとにかく、流れに逆らわないで粛々と目先の問題に対処しようという心境で特につらいとかはないのですが、知らないうちにストレスや疲労がたまっているのか、少し免疫力が落ちていることを感じます。
人が不自然に長く生きるということは、世話をする子ども世代も「そこそこ年をとっている」ということ。お互いに「大変」な状況が長く続いてしまうことでもあります。
医学の進歩は「先が長い若者」のために有益に使っていただくことにして、もう50を過ぎた人には自然に任せる…摂理に反しない方法を選択できるようになればいいなと…
…というか、そのためには一人一人の意識を変えることの方が先ですね(^^;)
「健康で病気がいっさいなくて長生き」なら、いいんです。
でもそういう人はほとんどいないのではないでしょうか。うちの親もそうですが、毎日大量の薬をのまなければならなかったり、認知症を発症したり。認知症ではなくても持病があったり。
そういう不自然な状態で、不自然に生き長らえていることが果たして摂理に沿っているといえるのか、というのが自分が感じた素朴な疑問です。
何でもかんでも「コロナ」に結びつけて考えるのはどうかと思う一方で、医療崩壊が寸前、という現場からの発信を目にするたびに「やはりそうなってきたか…」と。
今の摂理に反している現状をリセット・修正することが「コロナ」に課せられている使命なのかもしれません。
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