Meat is Murder 続き

ヨガ的食事・アーユルヴェーダ・ヴィーガン
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昨日は力尽きてしまい(^^;)‥続きを書きます。

The Smithsから話が始まりましたが(笑)、そこから辿り着いた「現在」。動物虐待について考えることがとても多くなってきました。

当たり前のことですが、自分自身は動物に乱暴なことや残虐なことはしません(絶対にできません)。ただ、正直なところ、スピリチュアリズムの知識を知るまではそれほど(動物虐待の実態など)深く考えたことがなかった、、という感じなのです。

近しい人から「日本人はどうしてクジラを食べるのか」と聞かれたり、賭レースを引退した犬を引き取って育てるボランティア活動を身近に見てきたので、その都度動物虐待のことを考える機会はあったはずなのですが。

もちろん、Morrisseyの動物虐待絶対反対の姿勢からも影響を受けています。The SmithsのギタリストJohnny Marrも同じくヴィーガンであることは知っていましたし・・

そしてヨガのTeacher’s training(RYT200)を受けている期間。「不殺生・非暴力」はヨガ哲学の中でも重要な中心をなす概念ですので、ここで初めてかなり深く考える、という経験をしました。実際、このときから自分も(almost) veganになっています。

その後に訪れた極めつけが、「スピリチュアリズムとの出合い」。そこでは、シルバーバーチが何度も繰り返し、人間の都合で動物を殺すことは止めるべき、ということを説いています。

それって、、、!!! 超・超・超高級霊が、それほど熱意を持って我々に訴えていること…

間違いなく、これは「即時停止」要請。即刻止めなければならないこと、と断言できることだと思ったのです。

そもそも人間が動物を殺す理由とは、どのようなものがあるのでしょうか。

① 食用

② 衣服 (ウール、カシミアなど)

③ インテリア、飾り、アクセサリ

④ 娯楽 (馬、犬の賭レース → 故障したら殺される) 闘牛

調べればもっとあるのかもしれません。今、思いつくままに書き出してみましたが、共通する事項は「絶対に必要とはいえない」ということ。

①について。そもそも人間は「消化」という観点から見ても、動物性たんぱく質はどちらかと言えば害になります。栄養的にも肉を食べる必要性はありません。人間が肉を食べるのは、単に肉欲のため、自分の欲求を満たすためだけと言えます。

②について。動物の毛を刈る作業はものすごく手荒に、残酷になされているそうです。動物保護団体は「カシミアやウール製品は買わないで」と、不買を通して反対の意を表すことを訴えています。

③と④は言うまでもなく、全く必要のないものです。

それでは、医薬品開発のための臨床実験(生体実験)はどうでしょうか。このことに対して、シルバーバーチの回答は「原則不可」でした。どうしても避けられない場合は、可能な限り苦痛を与えない方法で・・とも。

医薬品開発も、元をたどれば人間が摂理に反した生き方をしている結果として病気になったまでのこと。自業自得という言葉をスピリチュアリズムではよく見かけますが、そういうことです。

なので、そのためにどうして動物を犠牲にしていい・殺していいと言えるのでしょうか。そんな権利を神様が人間に与えている筈がありません。

なので、これも(極論ではありますが霊的視野からすれば)「不要」と判断することができます。

VEGANという概念はそもそも、単に肉・魚・乳・卵を食べない、という行動のことを指している訳ではないんですね。

なぜ、そうするのか

動機によって、veganなのかそうではないのか、が分かれる訳です。

つまり、あらゆる動物虐待に対してobjectionの意を表明し、行動しているのか。

これがvegan の「定義」となります。

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