このブログ内で探してみたところ、ちょうど約一年前に毒親のことを書いていまして、
その後もたびたび、毒親とのエピソードをメモしているようです。
最近不思議と、「毒親」に関する記事やインスタの写真などが目に入ることが多く、改めて自分の経験と照らし合わせて考えることが多くなっています。
その中で「追体験」したり、「毒親あるある」(笑)にうんうん、と頷きながら文章を拝見しています。
それにしても、なんと多いこと…「毒親育ち」の人。もはやレアな存在では全然ありませんね。
若い方には、声を大にしてこう言いたいです。
「一刻も早く縁を切って、毒親とは物理的にも心理的にも疎遠になることをオススメします」、と。
なぜなら、毒親って…本当に変わらないんです。
もしも自分の言動を振り返って子どもに申し訳ない、という気持ちを持つような親であれば、それはもう「毒親」ではありません。立派に「改心」(笑)した証拠。
残念ながら、毒親にそれを期待することは無理だと思います。
毒親は認知症になっても、毒親のままです。
「攻撃」という意味においてはパワーはなくなりますが、その代わりに今度は「依存」で子どもを支配しようとします。
例えば、
毎日のような電話をかけてきて、自分が如何に大変で不幸かを話す。
こちらは定期的に通っているにも関わらず、「全然来てくれない。来て助けてほしい」と訴える。
第三者に自分の悪口を言う。「冷たい」「怒られる」
その一方で、本人に対しては「感謝している」と見え透いた嘘を言う。来てもらえなくなると自分が困るから、なのでしょう。
相手の都合や家族、仕事については全く何も考えない・感じない。全て自分優先、自分だけが良ければよい、という考え。究極の自己中。…これは認知症の有無に関わらず、毒親の代表的な資質とも言えます。
たとえ毒親であっても、認知症になって確かに不便そう…ということから、本音レベルでは嫌悪感を感じながらも人として…という部分を優先して出来るだけ頻繁に通い、手助けをしてきました。
ところが…今年に入ってから、急激に体調が悪くなってしまったのです。明らかに免疫力ダウンの傾向が見られています。
普段と変わらない生活をしていますし、食欲もあるし(笑)…考えられる原因は、毒親との関係性で精神的な面で無理をし過ぎているのかも、ということのみです。
きっとそんなこともあり、ここのところ「毒親」に関することが目につくようになっているのだと思います。
そんな中で、昨日インスタグラムで見かけた言葉に「あ、これだ」と思うものがありました。それは、
「毒親は、子どもの幸せを喜ばない」というもの。
まさにその通り、です。
毒親は子ともの幸せよりも自分のことが大事。なので、例えば、自分が大好きな息子が結婚して幸せな家族を築こうとしていると、毒親はそれを攻撃したり壊そうとします。
「そんな、まさか」
と「フツウの人は」思うのでしょうが、実際、自分の兄弟はその被害に何度もあっています。
こうして文字にしてみると…ぞっとするくらい怖い事ですよね。
だからこそ若い人は遠慮しないで、一刻も早く毒親から逃げてほしいと願いますし、子どもであれば、周りの人が気付いて助けてあげてほしい…
さて、タイトルの「毒親の末路」。彼らの最後は…どうなるのでしょうか。
もちろん人それぞれ、なのでしょう。一例になりますが、恐らく多くの毒親は同じ末路をたどるのではないかと思います。それは、
孤独
エネルギーバンパイアでもある毒親は、周りの人に毒を吐き続けます。
周りの人は振り回されてヘトヘトに。そして具合が悪くなります。
当然、親族以外は離れていくでしょう。
最後には、親族からも見放されます。
相手にしてくれるのは、「仕事だから」と割り切って関わっていただける方たちだけになります。介護施設の方とか。
そして本人は、そのこと自体さえ不幸ネタ=毒として、また周りに毒をまき散らすのです。
この時点では、もう誰も相手にしませんが・・それでも毒を吐き続けることは、死ぬまで止めないでしょう。
毒親が「今世で」救われるためには、自分の依存心を克服して、周りに毒を吐いていることを自覚して、それを自分の意思で止めることしかないのだと思います。
それができれば、苦労はありませんが…(^^;)
第三者的に観察していると、自分の毒親にはそれはハードルが高すぎだと思っています。
きっと死ぬまで毒親なんだろうな、と。哀れですが…
自分の身を守りながら、エネルギーを吸い取られないよう気張って(笑)、毅然とした態度で必要以外は関わらないようにしないと、これからは自分の身が持ちそうにないな、と感じている今日この頃です。
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