…の生涯、という塩野七生さんの著書を読みました。
昨日も少し触れたことなのですが。
21世紀に生きる者の1人として、どう考えても合理的かつ平和重視に思える数々の偉業・政策を成し遂げたと思えるのですが、どうやら生まれた時代(13世紀)が早すぎたようです。
今だったらきっと、「リーダーシップ論」みたいな著書を出してベストセラー作家になっていたかもしれませんね(笑)
その偉業の数々。具体例としては、
①法治国家設立、そのための憲章を法律の専門家とともに整備
②ヨーロッパ初の国立大学を設置、しかも(宗教特化ではなく)リベラルアーツを中心に据える
③十字軍では無血・話合いによる和平とエルサレム再復を実現
④人種や宗教に関係なく、優れたものに相応の敬意を払い積極的に取り入れる(当時はイスラムの方があらゆる面で発展していた、という背景あり)
⑤出身階級に関係なく、能力の高い者は要職に任用する。
などなど。こんな人が政治家だったらいいな、と思います(^^;)
③だけでもすごいこと、ではないでしょうか。未だに平和とは程遠いこの辺りの地域について、何と、13世紀という時代に和平を実現させているのです。
アンチ・フリードリッヒ二世 な方ももちろん世の中にはいらっしゃるのでしょうが、先入観なく特に思い入れもない(笑)現代人からすれば、全く違和感なく彼の統治は受け入れることができるものだと思います。
印象的なのは、それと対比するように描かれるローマ法王の言動、いや、悪行!?の数々。これが極めて中世的、なのです。
③に対しても、「エルサレムは流血して奪還してこそ、祝福される」という認識…(^^;) 馬鹿じゃないの!?と思わずツッコミを入れたくなりますが。。
なので、執拗にフリードリッヒ二世が試みている和平交渉や十字軍そのものの「じゃま」を繰り返すのです。
更に何度も皇帝を「破門」したり、神聖ローマ帝国皇帝を別の人にしようと企てたり。まぁ、しつこいことしつこいこと。
その執念が凄まじくて、ぞっとしました。
そして極めつけが、悪名高い「異端審問」。
これがこの時期に開始されています。これだけでも、当時のカトリックがいかにナザレのイエスの教えから遠いところに堕ちてしまっているのか、が分かりますよね。
イエス自身も「早すぎたヒーロー」であり、時代が追い付けなかったことから最終的には惨殺されてしまいましたが…
スピリチュアリズムの側面からこの本を読めば、やはり、というか残念ながらというべきか…キリスト教は、ナザレのイエスの教えとは全く別ものなのだな、ということがよく分かります。
皇帝が望んだことはただひとつだけ。「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」というイエスの言葉に従うこと。最後の最後まで、彼はこの信念を貫き通します。
これと対比的に法王が主張していたのは、「法王は太陽、皇帝は月」。
でもこれはイエスのおしえではないのです。イエスの教えから大きくはずれたカトリックが、勝手に作り上げた信念に過ぎません。
どちらを神は望むのか…もう言うまでもありませんよね。
スピリチュアリズムの観点から中世ヨーロッパの歴史を見てみると、これまでとは異なる視点から眺めることができて新鮮、というかとても興味深く感じます。
塩野七生さんの著書はまだまだたくさんありますので、引き続き読んでみたいと思います(#^^#)
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